プロジェクトを失敗へと導いた「データマネジメント」の不備とは
企業活動においてデータの分析・活用は重要であることは、誰もが知るところだ。しかし、データの分析や活用の前に、そもそもデータの品質や管理方法が十分になされているかどうか考える必要があると栗原潔氏は指摘する。
たとえば、2009年12月に起きた航空機テロ未遂事件では、犯人の名前は既にアルカイダと関係のある要注意人物として報告されていたにも関わらず、データベースに登録されていないために、ビザが発給されてしまっていた。正式に発表されているわけではないが、原因は大使館担当者のデータベース入力時のスペル間違いによるものだと推測されている。最新のデータベース・テクノロジーを導入していても、入力されたデータの品質が悪い場合はアウトプットに大きな問題が生じる、まさに象徴的な出来事といえよう。
それでは、こうした問題を再発させないためにはどうしたらよいのか。日本で企業では、入力担当者やその上司が責任を問われ、辞職するなどの対応となることもあるが、当然それでは再発を防ぐ施策にはまったくなり得ない。栗原氏は「あくまで推測」としながら、次のような対応策を挙げて説明を行なった。
第一にすべての基本となる「組織文化面」がある。データベース入力担当者に対して、要注意人物の氏名入力がいかに重要かを説き、単なる事務作業ではなく、多くの人命がかかった重要業務であると認識してもらうことが大切だ。たとえば、ある外資家企業ではスタッフ同士の結束を高めることを意図した会食を行い、データ管理の重要性を理解してもらうよう務めているという。確かに、決して即効性のあるものではない。しかしながら、データの品質を保つ上で重要な風土基盤として不可欠と思われる。
2つ目に挙げられたのは「プロセス面」である。私たちは重要なデータの入力の際には読み上げ確認や校正などを行なうが、それよりも複数の担当者がデータを入力し、後に一致するかどうかを確認した方が効果が高いという。しかしながら、手間のかかることなのでプロセスとして自然に業務に浸透させることがカギとなる。
そして3つ目は「テクノロジー面」である。Googleの「もしかして機能」に見られるようなスペルミスの可能性を指摘する機能をあらかじめ導入しておけば、間違いが見つけやすい。そして、最後に関連部署や関連機関の間で重要な情報はシステム的に共有するという「エコシステム」面の重要性も説明された。情報を共有していれば、どこかが間違いに気がつけば修正される可能性がある。しかし、共有情報が誤っていたら被害も大きくなるため、的確な共有システムが必要となる。
栗原氏は「どれか1つだけで万全ということはあり得ない。一元的一面的な対策では解決は難しく、多面的な取り組みが必要になってくる」と語る。そして、「付け焼き刃的に対応してもほころびが生じる。組織として戦略としてデータマネジメントを考える必要がある」と力説した。
情報のプライオリティを明確化し、プロセス重視の現実的な対応策を
そもそも「それほどまでに重要なデータとは何なのか」。その問いに対して、栗原氏はニコラス・カー氏やティム・オライリー氏の言葉を引用しながら、「データとは企業そのもの」と説明する。つまり、企業がもっているデータとデータ・モデルには企業の日々の業務、プロセス改善の歴史、顧客との対話などが反映されている。つまり、それらは独自の資産であり、文化であり、同じデータ群は2つとないと考えられる。むろん、他社がそのデータを使おうとしてもやすやすと使えるものではない。究極の差別化要素なのである。
しかしながら、ほとんどの企業がこの重要なデータの管理にかけるリソースが十分かといえば、決してそうではない。事実、大きな予算をかけた国家プロジェクトですらデータマネジメントに十分な配慮ができていないことが多く、そのせいで些細なデータのミスで大失敗に終わった例は枚挙に暇がない。たとえば、前述のテロ未遂事件のほか、2000年の米国大統領選のやりなおしや、火星探査機の爆発もちょっとしたデータのミスがきっかけとなって大きなトラブルとなったといわれている。
データの重要性を知りつつ、実際は十分なデータ戦略の立案・実行ができていない。この現状について、栗原氏は6つの視点から分析を行なっている。まず「データは企業の戦略資産」という言葉がお題目になってしまい、実際の施策が形骸化していること。そして、複雑化するデータに技術や施策が追いついていないこと。また、管理者層が「データは情報システム部門が管理すべき」と誤解しており、データ・テクノロジーの専門家は数多くとも「データの専門家」は不足していることが上げられる。また、現場の問題として、日常業務と密接に絡んでいるため容易に変更しにくいことや、そもそも各自がそれぞれで"所有"したがるため、共有できないなどもあるだろう。
特に、経営層の意識における“教科書的”なデータ統合と、実際にデータが使われている現場の現実との乖離は著しく、さらには、その現場においても各々の「データの意味」に齟齬が生じている。たとえば、customerというフィールドのデータに対し、経理システム担当者は「請求書の送り先」、配送センターでは「商品の送り先」、販売担当者は「営業のコンタクト先」とそれぞれ認識が異なるように、非互換性が生じる。しかしながら、経営層はデータ統合の難しさを認めず、「現場で人海戦術で」と考えがちであり、現場は取引先との関係性やプロセスとの関係からデータの変更を認めようとしない。結果、データ管理者が忙殺される仕組みとなっているわけだ。そして残念なことにデータの十分な品質管理ができてないにも関わらず、分析データは社内に配布され、それに基づいた事業が展開していくことになる。
栗原氏は「教科書的なアプローチは夢物語。それなのに理想を追求して何も進展しないということになりがち」と指摘し、具体策へのヒントとして、データを外販している企業の成功事例から学ぶことの意義を語った。そうしたデータ優良企業の習慣には、最も重要な顧客の重要なニーズにフォーカスすることや、プロセスに徹底的に注目することなど、いくつかの共通点が見られるという。一方、データ管理が進まない企業の問題点として、データのオーナーシップに関する政治的軋轢や経営管理とデータフローの不整合など、最も多い障壁5つが紹介されるとともに、事実に対する恐怖といった心的足かせについても触れた。
栗原氏は「入力データの品質向上なくして、情報システムの価値を維持することはできない」と力説し、「教科書的な理想を追求するのではなく、データの発生源に特にフォーカスした総合的なアプローチが必要」として、現実的な解の方向性を示した。