裁判所が示した「プロジェクトマネジメント義務」の本質
この判決から読み取れる重要なポイントは、アジャイル開発におけるプロジェクトマネジメント義務の本質が「適切な情報提供」と「提案」にあるということです。裁判所は、ベンダーが漫然と放置するのではなく、「専門的知見に基づいて必要な助言を行い、完成に向けた具体的な提案を行うこと」がプロジェクトマネジメント義務の核心であると判断しました。
注目すべきは、開発ベンダーが示した「機能を盛り込みすぎであり、現状の予算で作製することは困難である」との懸念を、裁判所が「もっともなもの」と評価している点です。これは、ベンダー側には技術的な実現可能性を客観的に評価し、ユーザーに対して率直に状況を伝える義務があることを示しています。
また、仕掛品をユーザーに共有して「具体的な検討を促した」という点も重要です。アジャイル開発では動くものを見せながら仕様を固めていくのが基本ですが、この過程で、ベンダー側には単に作業を進めるだけでなく、ユーザーの意思決定を促進する責任があるということです。
一方で、この判決では「仕様の作成は発注者の役割」と明確に述べられており、アジャイル開発といえども、最終的な要求の整理と意思決定はユーザーの責任であることを確認しています。ベンダー側のプロジェクトマネジメント義務は、あくまでもユーザーの意思決定を支援するものであり、ユーザーに代わってすべての判断を行うことまでは求められていません。
この判決が示すプロジェクトマネジメント義務の内容は、以下のようにまとめることができます。
第一に、「専門的知見に基づく適切な情報提供」です。技術的な制約や予算との兼ね合いについて、ベンダーはユーザーに対して率直に説明し助言を行う義務があります。第二に、「具体的な提案の実施」です。問題を指摘するだけでなく、解決策を提示し、ユーザーの意思決定を促進する必要があります。第三に、「継続的なコミュニケーション」です。打ち合わせや仕掛品の提供を通じてユーザーとの対話を維持し、プロジェクトの方向性を調整していく責任があります。
重要なのは、これらの義務を果たしたかどうかは“結果”ではなく“過程”で判断されるという点です。本件では最終的に開発が頓挫しましたが、裁判所は開発ベンダー側が適切なプロセスを踏んでいたことを評価し、プロジェクトマネジメント義務違反を否定しました。
アジャイル開発は「協働」なくして成功なし
この判決が私たちに教えてくれる最大の教訓は、アジャイル開発における成功の鍵は「協働」にあるということです。従来の請負契約的な発想では、「お金を払ったのだから完成させるのは当然」「仕様書通りに作れば責任は果たした」という考え方が支配的でした。しかしアジャイル開発では、ベンダーとユーザーが対等なパートナーとして協働することが不可欠となります。
ベンダーの立場からすれば、この判決は一定の免責を与えてくれるものといえるでしょう。しかし、それは決して「何もしなくてもよい」ということではありません。むしろ、より高度なコミュニケーション能力と提案力が求められているということです。技術的な知識を持たないユーザーに対して、複雑な技術的制約をわかりやすく説明し、現実的な選択肢を提示する能力が重要となります。
一方、ユーザーの立場からすれば、この判決は「丸投げ」の危険性を警告しています。アジャイル開発では、ユーザーが積極的にプロジェクトに参加し、優先順位を決定し、機能の取捨選択を行う必要があります。「専門家に任せておけば何とかなる」という発想は、プロジェクトの失敗を招く可能性があります。
加えて、契約形態の選択も重要です。本件では、開発ベンダーが当初から準委任契約をイメージしていることを明確に伝え、返金に応じられない旨を説明していました。このような透明性のあるコミュニケーションは、後のトラブルを防ぐ上で極めて重要です。
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細川義洋(ホソカワヨシヒロ)
ITプロセスコンサルタント東京地方裁判所 民事調停委員 IT専門委員1964年神奈川県横浜市生まれ。立教大学経済学部経済学科卒。大学を卒業後、日本電気ソフトウェア㈱ (現 NECソリューションイノベータ㈱)にて金融業向け情報システム及びネットワークシステムの開発・運用に従事した後、2005年より20...
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