「メアドを交換してください」の文字が浮き出たらお取りかえの時期です
さあ、メアド交換の始まりです。
白々と明けはじめた空の下、
数キロをへだてて対峙するふたつの城塞都市のあいだを、
放物線を描き、音よりも早く、無数のメアドが飛び交います。
ひとつひとつが重さ100キロほどの塊であるメアドは
巨大なカタパルトを使って打ちだされ、
命中すると広い範囲にとびちって、
まきちらされる膨大な負のインフォメーションによって
敵方の感覚器官に多大なダメージをもたらします。
ちなみに、メアドは「merde」と綴り、
フランス語で「糞」を意味する、つまり糞です。
ふたつの都市は理由もなく存亡をかけた戦争状態にあって
日々たえまなく糞を投げあっているわけですが、
これほどの汚辱と悲惨を目の当たりにしても
戦争にヒロイズムやロマンチシズムを見出す人は
どういうわけか絶えることがなく、
わざわざ志願してアレを投擲したり、投擲されたり、
飛び散ったものを「スカラベ」と呼ばれる流民の集団が集めて
大きな玉を作ってごろごろと転がして、それがどこかに
ぶつかって割れると、たいてい中に人が埋まっているのが
見つかるという、
で、なんの話でしたっけ……
メアド? それってメールの? アドレス?
あ、じゃあ、そっちのメアドの話も書きます。
そのまえにお茶入れてきていいですか……はい
さて、今年もメアド交換の季節がやってきました。
メアドの交換は、現在ではもっぱら赤外線をつかって
行われていますが、年配の方はご記憶のとおり、かつては
可視光線を用いるのが一般的でした。
たいていは箸袋の裏などに手書きの文字で出力されたものを
眼球を使って画像入力し、一種のOCR的な処理を脳内で
おこなうことでテキスト化、さらにそれを、なんらかの
装置を指で操作するという原始的な形で再入力して、
ようやくメールアドレスとして使用できる形に
変換することができたのです。気の遠くなる話ですが、
いまよりもずっと時間の流れがゆるやかだったんですね。
さらにその以前となれば、メアドの交換に使えるスペクトル帯が
紫外域のみ、という暗黒時代が長くありました。
真冬なのに真っ黒に焼けてるから日サロに通ってるのかと
思ったらメアド交換のやりすぎだったというようなケースが
頻発し、皮膚がんのリスクも無視できないものでした。
そのように困難な状況のなかでも、人々はメアドを交換し、
大小の人間関係を築いて、文明の発達に貢献し続けて
きたのだと思うと、深い感動を禁じ得ません。
メアドに交換価値がなかった時代というものを
我々はもう想像することすらできませんが、
コミュニケーションとは常に何かを交換するところから
始まるものであり、交換されるのが本質的なもので
あるほどコミュニケーションは深まるものですから、
やがてはメアドのかわりに臓器や脳の一部を交換するのが
挨拶の基本であるような時代が訪れるであろうことを
筆者は確信し、クリーンな内臓の維持につとめています。
メアドは覚えやすいものがいいですね!