人前で話すのが苦手なのに教育担当に
「先月、10年ぶりにOracle OpenWorldに行ってきたんですよ」
インタビュー冒頭に近況を聞くと、サンフランシスコ訪問の話から始まった。ふと「10年前はどうでした?」と聞いてみた。
「2002年はテロ(911)の翌年でピリピリしていました。実際に会場で爆破予告もあったそうです。ぼくは同僚と一緒にヨセミテに行っていて、日本からの安否確認の連絡で知ったくらいなんですよ。ははは」と岸和田さんは苦笑い。
簡単には動じないような落ち着きがある。自分からは自慢話をしないので、隣で同社広報が「岸和田は顧客目線で様々なサービスを形にしてきました」ともり立てると、岸和田さんは「……うん」と答える。照れているようだ。控えめなようでいて、仕事では積極的に行動し、新しいビジネスを開拓してきた。
岸和田さんは経済学部出身。バブルがはじけた後の就職活動ということもあり、金融系は気が進まなかった。「手に職を付けたい」と思い、興味を持ったのがコンピュータ分野。学生時代は多少パソコンに触れたものの、コンピュータやITは入社してから一から学んだ。
最初に配属されたのは教育担当だった。5月の連休明けに配属、7月にはオラクルのSQLトレーニングのコース講師としてデビューした。岸和田さんは「テキストにある範囲を覚えれば、講師としての役割は果たせます。しかし講師として大事なのは生徒となるお客様に伝えること。一通り理解したら先輩の話し方を参考にしたり、自分でリハーサルを繰り返すようにしました」と話す。
熱心さは苦手意識の裏返しだったのだろうか。実は岸和田さんは人前で話すのが苦手だった。中学時代に全校生徒の前で話す機会があり、「頭が真っ白になった」苦い経験がある。「なのに、なぜ教育に配属されたのだろう」と、岸和田さんにとって新人時代の配属はいまだに謎だそうだ。
トレーニング業務を担当していた時代に扱った製品はOracle 6から8iまで。当時まだセミナーや文献が今ほど充実していなかったため、マニュアルをひたすら読みあさり、同僚たちと一緒にOracle製品を実験するかのように試しながら研究した。
15年以上前である。「キャラクターベースでしたからね」と岸和田さん。今とはインターフェースが違う。Oracle Databaseを扱うにしても、文献を読むにしても今のようなGUIやきれいにデザインされたWeb画面ではなく、簡素な文字だけの画面を見ることが多かった。