分かることと、予見することのギャップ
- 1876年に暮らしたとすると、ベルが電話を発明したときに、その爆発的な普及力を予見することを、皆さんはできるだろうか?
- 1978年、AT&Tの戦略に携わっていたとすると、携帯電話に大きく投資することができただろうか?
- 2004年、802.11 という無線規格はどうなるのか予測できただろうか?
書き出しで、クリステンセンはこう問いかけるところからこの本は始まります。私は、こういうクリステンセン節が好きだ。過去を分析し、説明したり、現状を理解したりするためのセオリーは多いが、未来の予測に使えるセオリーはほとんどありません。負けた後でワールドカップでの日本代表の問題を指摘する評論家は多いが、このままではマズイ、と大会前に警鐘を鳴らした人間が少ないことからも分かります。
現状は「(注意深く)見れば分かる」、過去は「(念入りに)調べれば分かる」が、未来は「法則を(正しく)導き」さらに「(適切に)当てはめる」ことが必要になります。加えて、見たり、調べたりという行為は直感に働きかけるのに対し、法則を導いたり、当てはめたりする行為は抽象的で、手応えとして得にくいことが難しくしているようです。限られた紙面ではありますが、極力噛み砕いて説明したいと思います。