顧客体験が重要なサブスクリプションビジネス
Zuora創業者兼CEOのティエン・ツォ氏は、自著『サブスクリプション――「顧客の成功」が収益を生む新時代のビジネスモデル』で、サブスクリプションビジネスではサブスクライバーが中心にいると主張している(図1)。
これに対して、従来型のビジネスモデルは、より良いプロダクトをできるだけ多くの顧客に買ってもらうことをよしとしてきた。より多くの顧客にリーチするには、より多くのチャネルを整備する必要があるとして、B2Cであれば店舗の他にWebサイト、B2Bであれば販売代理店網の構築を強化してきたことであろう。しかし、これからのサブスクリプションエコノミーの時代には、「従来のプロダクト販売モデルとサブスクリプションモデルは別々のものとして考えなければ、企業は様々な問題に直面する」と竹内氏は警告する。常に変わり続けるサブスクライバーのニーズを捉えながら、プロダクトを永遠のベータ版として作り替え続けることが重要になるためだ。チャネルも縦割りの存在のままではいられない。サブスクライバーに一貫した体験を提供するためのものに整備する必要がある。
サブスクリプションビジネスでは、契約を獲得するまでよりも獲得してからが本番だ。竹内氏は一人のサブスクライバーのサービス利用の変遷を「サブスクライバージャーニー」という言葉で表現した(図2)。
サブスクリプションビジネスでは、顧客は最初から高額な契約を選ぶことはまずない。通常はシンプルな機能だけの基本プランから始めるはずだ。満足して使っていくうち、もっとお金を払ってもいいので、一つ上のプランにアップグレードしたくなる。場合によっては、今使っているサービスとは別のサービスを契約してくれるかもしれない。
最悪のケースは解約されてしまうことだ。これに対応する方法は主に二つある。一つは休止と再開を選択できるようにすることだ。例えば、旅行に行く期間中だけサービスの利用を休みたい場合、休止プランがなければ一旦解約してからもう一度入会しなければならない。だが、この手続きはユーザーにとっては面倒だ。もしプランの中止と再開を選択できるのであれば、最低でもその月の売上が得られないだけですむ。もう一つはダウングレードを提案することである。利用時間が減ってくると、ユーザーは解約の検討を始める。その兆候をつかんだら、もっとライトなプランをベンダーから提案し、売上が減っても長く使い続けてもらうことを選択するべきだ。
「時間の経過と共に変化するサブスクライバージャーニーを理解し、LTVを最大化させることがサブスクビジネスの極意」と竹内氏は強調した。
サブスクビジネスで必要になる専用の損益計算書
この複雑なジャーニーを踏まえ、竹内氏は「サブスクリプションビジネスでは、通常の損益計算書をそのまま経営管理で利用することはできない」と指摘した。その問題は主に二つあるのだという。
一つは、性質の異なるプロダクト販売の売上とサブスクリプションの売上を合計することの問題である。サブスクリプションビジネスの場合、ある顧客からの売上が毎年1万円だとすると、(チャーンがない場合)来年度も1万円得られると予想できる。契約が10年続いたと仮定すると、今年の売上は1万円でも10万円の売上がもたらされる。これに対してプロダクト販売からの収益は一度だけの1万円である。費用についても同じことが言える。SaaSの会社であれば、データセンター利用料のように、サービスを提供し続ける限り繰り返し必要になるコストと、一度だけのコストが混ざってしまう。
もう一つの問題は、通常の損益計算書は過去の結果しか表現できないことだ。損益計算書を含め、報告用には一般会計原則に基づく財務諸表を作成しなくてはならないが、事業成長の意思決定には、新しい損益計算書が必要になる。つまり、サブスクリプションビジネスにおける経営管理では、新しいKPIが求められるということだ。竹内氏は「サブスクリプションビジネスのマネジメントの『一丁目1番地』はARR(Annual Recurring Revenue)の成長。すべてを左右すると言っても過言ではない」と述べ、図3の式を紹介した。
この式は、期初のARRからチャーン分を差し引き、ACV(Annual Contract Value)を加えると翌期のARRになるというシンプルなものだ。年単位ではなく月単位での利用料金を提示している場合も基本的に同じ考え方となる。期末のARRを増やすには、チャーンを減らしてACVを増やせばよい。チャーンは解約と訳されることが多いが、顧客数をベースにするものと収益をベースにするものがあり、ここでは後者の既存ユーザーの解約に伴い失われる収益、プランのダウングレードや契約ライセンス数を減らした場合の収益減を加味したものを指す。ACVには、新規顧客からの定期収益に加え、既存顧客からのアップセル(プランのアップグレード)やクロスセル(別のプロダクトの契約)で増えた収益も算入する。
この考え方をサブスクリプションビジネス専用の損益計算書に展開したものが図4になる。これはZuoraの創業者兼CEOのティエン・ツォ氏とCFOのタイラー・スロート氏が一緒に考えたもの。「この損益計算書を使えば、ビジネスの成長性を適切に評価できるようになる」と竹内氏は語った。
通常の損益計算書とは異なり、トップラインは売上高ではない。新しい損益計算書は期初の定期収益で始まり、期末の定期収益で終わる。費用項目は大きく「定期コスト」と「成長コスト」に分かれる。定期コストとは、サービスを提供するために必要な「売上原価」、間接部門の人件費などの「一般管理費」、プロダクト開発にかかる費用の「研究開発費」を足し合わせたものになる。
注目してほしいのが、通常の損益計算書では一般管理費と合わせて報告される「販売/マーケティング費」の位置づけである。この費用項目は定期コストではなく成長コストとして区別される。これは販売、マーケティング活動は定期収益を最大化するための活動とみなされているからだ。急成長中のB2BのSaaS企業が、パイプライン管理のためのテクノロジーや、カスタマーサクセスの人員採用などに積極的に資金を投じることができるのは、サブスクリプションビジネスでの販売/マーケティング費が成長コストと理解されているためであるとわかる。