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エンタープライズITベンダーは営業スタイルを再定義せよ ~ネットコマース斎藤さんに訊く 連載第7回

edited by Operation Online   2021/02/24 10:00

 IT関連のメディア記者を経験し、エンタープライズIT系のベンダーを経て、PR会社ビーコミ社長としてB2B系の企業広報を手掛ける加藤恭子のコラム第7回。今回からは趣向を変えて、エンタープライズIT業界で活躍されている方にご登場いただき、具体的にエンタープライズIT業界をどう歩いてきたのか、そしてこれからどう歩いていけばいいかを伺います。初回のゲストは、ITベンダーやユーザー企業のITビジネス支援をはじめ、講演、執筆と幅広く活躍されているネットコマース代表取締役の斎藤昌義氏です。

きっかけは大学時代のパソコンとの出会い

斎藤昌義ネットコマース株式会社 代表取締役。 1982年、日本アイ・ビー・エム入社。 生産系、販売系、工場の工程管理などのコンサルティング営業に従事、マーケティング部門にて新規事業開発を担当。1995年、日本アイ・ビー・エム株式会社を退職し、ネットコマース株式会社を設立し現職に就任。

斎藤昌義 ネットコマース株式会社 代表取締役。
1982年、日本アイ・ビー・エム入社。 生産系、販売系、工場の工程管理などのコンサルティング営業に従事、マーケティング部門にて新規事業開発を担当。1995年、日本アイ・ビー・エム株式会社を退職し、ネットコマース株式会社を設立し現職に就任。

――まずは前職のこと、そして現在のビジネスを開始されたきっかけについてお話しいただけますか。

斎藤 では、今まで誰にも語ることがなかった私の人生を語りましょう(笑)。元々私はカウンセリングに興味を持っていて、大学で障害児を支援するための特殊教育を専攻していました。そこで教育やボランティア活動を実践していたのですが、そのさなかに偶然研究室にパソコンが導入されたのです。

――それはいつ頃のお話ですか?

斎藤 私が大学に入学したのが1977年でしたが、その当時はパソコンが登場したばかりで、1976年アップルの「Apple I(アップルワン)」が発売され、ほかにも「Atari(アタリ)」や「Commodore(コモドール)」といったマシンが次々と発売されていましたね。私は昔から新しいものは大好きだったので、心理学の研究にそのパソコンを使い、統計学を勉強して多変量解析という非常に大きな数字やマトリックスを扱うような計算プログラムを自分で組んで、それで実験や調査・分析をしていました。コンピューターの面白さを知り、当時誕生したばかりのパソコンショップでアルバイトも経験しましたね。そこでコンピューターを学べて、仕事にできる会社はないのかと考えていたら、たまたま知り合いが日本IBMに勤めていて、紹介してあげるから試験を受けてみたらどうかという流れになり、採用されたという訳です。

――当時IBMといえば圧倒的な存在ですよね。その頃はIBMはパソコンのビジネスはまだでは?

斎藤 1981年に「IBM 5150 Personal Computer」という機種が発売され、ビジネスコンピューターのビッグカンパニーが、初めてパーソナルコンピューターを出したということが凄くセンセーショナルに受け止められました。私が入社したのは翌年ですが、その当時は米国からマシンを何台か持ってきて、エンジニアたちが面白がって使っていましたね。そして83年に「IBMマルチステーション5550」という機種が国内で発売されまして、「やっと俺の時代が来た」と(笑)。

 私はプログラミングが大好きでしたし、当然エンジニアになるものだと思っていました。それで入社後は営業所に配属されてSEとしての研修を受けていたのですが、当時は改善活動やCS運動が盛んで、IBMでも営業部門の改善をやれという話になっていたんですね。それで社内で成果発表会を行うことになったのですが、本来プレゼンを担当する営業所の先輩がトラブルで発表ができなくなってしまったのです。

――嫌な予感がしますね(笑)

斎藤 そこで、「誰かやる奴はいないか」となり、「新人のお前がやれ」と押し付けられて、仕方なくやったら優勝してしまったと(笑)。すると営業本部のトップが驚いて、「あいつは何者だ?営業にしろ」という展開になって、「これも何かの縁か」と考え直して営業になったという訳です。まあ、有無を言わさずやらされたといった方が正しいかもしれませんが。

トップにトップをぶつけるIBMスタイル

――営業デビューされてからはどのようにキャリアを重ねられたのでしょうか。

斎藤 最初は当時三洋電機の子会社だった東京三洋電機、アルプス電気、沖電気など電機及び電子の東証一部上場企業を担当しました。日本IBMには13年在籍しましたが、ずっと電機系企業の営業を担当していました。

 IBMの営業文化はとてもシンプルで、「トップを落とせ」というものです。当時1年間のノルマが10億円などとかなり大きくて、現場でちまちまやっていても数値目標は達成できません。そしてIBMの年度末は日本企業とは異なる12月で、その段階で決済してもらうためにはトップの承認が必要になります。

 そこで相手のトップに合うために、こちらも社長や上司を使う訳です。IBMには営業が一番だという社内文化があって、社長も「最後は自分の仕事」と認識していました。私がお膳立てをして、お客様側のしかるべき人と会って話をつけてもらうのです。それだけ会社の看板も大きかったですし、そういったリソースをいかに使うかを意識していました。研究所も含めて総動員でアプローチをかけていましたが、それがIBMの営業スタイルでしたね。

――逆に国内のITベンダーには、エンジニアが優先で営業やマーケティングの立場はあまり強くない企業も多いですね。なぜでしょう?

斎藤 営業は、技術やトレンドはエンジニアの領分だから、自分たちは、一応のことさえ分かっていればいいと考えがちです。しかし、それでは、営業の役割を果たすことができません。営業は、テクノロジーの言葉をビジネスの言葉に置き換え、お客様に伝える通訳者です。テクノロジーがどのようにビジネスに貢献できるのかを語ることができてこそ、お客様はその価値を理解し採用するかどうかの判断ができます。その能力があるかないかで、IT営業の真価は問われると思います。だから、私は「ITソリューション塾」を開催していて、テクノロジーとビジネスの関係を整理して、体系的な知識を習得できる機会を提供しています。

 もう1つの理由は、SIerの人月ビジネスにあります。これまでは、顧客の現場をお客様以上に熟知するエンジニアの存在や、キーマンとの人間関係を維持していれば、数字は勝手にやって来ました。だから、営業が努力をして仕掛けて案件を取る必然性はなかったのです。

 ところが今は、ITを取り巻く環境が大きく変わりつつあります。ITの役割は業務の効率化やコスト削減から、事業の差別化や競争力の強化へと拡がっています。前者のシステムであれば、今まで通りの関係を維持できれば、何とかなりますが、後者はそうはいきません。大手SIerやITベンダーだからと言って、これまでの実績にあぐらをかいていられません。特に大企業では、内製化の動きが活発化しています。そうなってくると、今までの“お客様”がSIerやITベンダーの“競合”になります。そういう状況で、いかにして案件やビジネスを生み出していくか。つまり、今までの価値観や営業という仕事の再定義が求められている、そんな時代になっているのです。

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著者プロフィール

  • 加藤 恭子(カトウ キョウコ)

    IT記者を経て、ナスダック上場IT企業のマーケティング・PRマネジャーを歴任。 現在は、その経験を活かし、マーケティング・広報のコンサルティングを行う株式会社ビーコミの代表として活動。日本PR協会認定PRプランナー

  • 石田仁志(イシダヒトシ)

    IT系フリーライター、記者。IT系の業界紙で記者として15年活動、編集部門のトップを経てフリーに。エンタープライズ系からTech系、組込み系まで幅広い領域を取材。

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