就職氷河期、新卒・理系枠で日本オラクルに入社
小泉さんは現在社長直轄の組織で広報マーケティング、そして2月にIPOをしたばかりの米国親会社のIRにも関わっている。広報は社外に分かりやすく情報を伝える「通訳」の役割だと捉えているそうだ。
理系の小泉さんが卒業した時はまさに就職氷河期。日本市場で急成長をしていた日本オラクルに入社。当時のオラクルは、女性は主にエンジニアの素養のある「理系枠」と外資として必要となる「英語枠」の2つの枠で、多数の才能あるユニークな新卒を採用していた。大学で流体機械などを専攻していたので当然「理系枠」で入社。当時はリケジョという言葉もない。同期は130人で、現在も交流が続いている。この時のメンバーは今、あちこちの外資系企業の日本法人の社長などとして活躍していている。小泉さん曰く「頭の回転が早くて、話していてラクで楽しい」のだそうだ。オラクルでSEになると思っていた小泉さんは、意に反して営業に配属。そこからマーケティングやPRに関わるキャリアが始まった。
モーグルにハマり白馬村へ移住、PR転身のきっかけは「あの映画」
スポーツ万能な小泉さんはオラクル時代にモーグルにハマる。その縁もあり、仲間に誘われてオラクルをやめ、白馬村に移住した。スキーを教えながら、スキー場のM&Aの会社を仲間内で立ち上げ、マーケティングを担当することとなったが、次第にPRの世界に興味を持ち出した。オラクル時代はマーケティング担当で広報・PRではなかったが、リリースなどは依頼する立場だったため、心得はあった。PRのプロを決意したきっかけは、映画『私をスキーに連れてって』だ。
「当時スキーは斜陽産業だったんで、盛り上げなければいけない。でも、大きな予算もない。『私をスキーに連れてって』という映画は世の中を巻き込んでいて、PRの影響力を感じました」(小泉さん)
スキー場のリサーチや賞金レースの企画なども行った。夏はスキー場の施設を利用し、仲の良かった出版社の方に相談してブックカフェを開くなどさまざまな工夫をした。いきなりテレビ取材が入るなどの良いスタートが切れたという。その柔軟な発想や、巻き込み力はどこから出てくるのだろうか。
「オラクル時代は1,000人くらいの会社で100人以上が同期だから、新卒でも新しいことばかりやらせてもらえ、上場前で会社にも勢いがあったので、その働き方とか仕事の仕方がベースになりました。やってみた方が面白い!と思うタイプなので、逆に誰かから引き継ぎをされるのは苦手なんです(笑)。立ち上げが好きなんですね」(小泉さん)