大手ITベンダーでシステム開発、ERP、クラウドのスキルを積んだ
デンソーの成迫さんは大学では経営学を専攻、新卒で入った会社は日本IBMだった。システムエンジニアとしての社会人人生がそこでスタートした。入社してからコンピューターの勉強をした。その後は伊藤忠商事に転職、同社の情報システム部門に所属するとともに、現在のCTC(伊藤忠テクノソリューションズ)に出向し、様々な企業のシステム開発に関わることとなった。そこでは、様々な企業が抱えている課題の解決に結びつくようなシステムを提案する側の経験を積んだ。その後は香港を拠点するIT企業の社長として、中国・アジア域の日本企業のIT導入を支援する立場になった。海外拠点の企業においては日本人から見れば、一緒に働く人の多くが外国人だ。当時でも、IT人材の流動性が大きく、「今、お金が稼げればいい」ではなく「将来役立つよう、自分の能力を高めながら働きたい」と、100人の従業員のうち20人が毎年入れ替わる状況だったという。そのため、人材のモチベーションマネジメントにも力を入れていた。
「同じITといっても、ERPのプロフェッショナルと、インターネットのプロフェッショナルでは全然内容が違うので、自分が極めたい内容に近いプロジェクトに関わって成長できるかどうかも、同じ場所で働きつづけるかどうかの判断に関係しますよね」(成迫さん)
他方日本を見ると、大企業ではずっと同じ会社で働き続ける、いわゆる「就社」という風潮があるが、今はそれも少しずつ変化していると成迫さんはいう。とりわけ技術を提供する側のITベンダーのいた人たちが事業会社のIT部門やデジタル部門に転職をしてそこでプロフェッショナルなキャリアを積み上げるケースが目に付く。また、事業会社とIT会社を行きつ戻りつ活動している人もいる。だんだんと海外の働き方に近づいているようだ。
そして成迫さん自身は、まさにグローバル標準の働き方をしている。
香港で社長に就任した後はSAPから声がかかり、インダストリープリンシパルという業界別ソリューションの責任者に就任した成迫さん。その後も他の外資系に転職したり、自分で会社をおこしたりした後にクラウドやデータセンターのサービスを提供していたビットアイル(現在のエクイニクスジャパン)に入社し、執行役員に就任した。そんな成迫さんに今度は「自動車業界に興味はありませんか」と声がかかった。それがデンソーに入社するきっかけとなった。
裁量権が与えられやすく、年齢差別もない。それが外資系の良さだ。そういう文化の中でキャリアを積んできた成迫さんにとって、自動車部品製造を中心とする日本の伝統的企業ともいえるデンソーの風土にギャップは感じなかったのだろうか。