日本企業を侵食する「茹でガエル型の脅威」
現代の国際情勢において、齋藤氏は「自由主義 vs 専制主義」という対立軸を1つの視点として提示した。1991年のソビエト崩壊後に訪れたアメリカ一強時代において、専制主義国家、特に反米主義の国々は、アメリカの圧倒的な経済力や軍事力に対して、通常兵器による従来型の戦い方では勝ち目がないと認識するようになった。そのためこうした国々は、武力紛争にエスカレーションすることなく適用できるデジタル影響工作や情報戦といった能力を強化するようになったのだという。
「デジタル影響工作や情報戦は、武力紛争などと比べて反撃を招く閾値、つまり攻撃されていることが相手に伝わりにくい抑制的な手法と言われています。また、低コストで高い効果が見込めることから、特に反米主義国家の国々はこういった手法に注力していったとされています」(齋藤氏)

この「新しい形の戦い方」には様々な呼び方があるが、2014年のロシアによるクリミア半島侵攻から「ハイブリッド戦」という言葉が用いられるようになった。これは、軍事とサイバーを組み合わせた戦い方を指す。続けて同氏は、より広い概念として欧州のNATOの研究機関が提唱する「ハイブリッド脅威」について言及した。ハイブリッド脅威は文化、政治、法律、軍事、経済など様々な軸を駆使して相手国を弱体化させる多面的・多元的な戦略だ。日本でも、土地買収や企業乗っ取りなどの形でこの脅威が見られるようになっている。
齋藤氏はこれらを「茹でガエル型の脅威」と表現する。軍事専門用語では「累積戦略(Cumulative Strategy)」とも呼ばれるもので、1回の作戦で相手にダメージを与えるのではなく、少しずつ相手を侵食していく戦略だ。同氏が示したグラフでは、フェーズが進むにつれてターゲットの機能性(青線)が徐々に低下していくのに対し、検知の容易さ(赤線)は最初は低い。つまり、ターゲットが弱体化していくことに気づくのが初期段階では困難なのが、この累積型戦略の特徴だ。
デジタル影響工作の戦略と歴史的発展
デジタル影響工作とは、相手国・競争相手国の意思決定に影響を与え、行動の変容を促す戦略である。齋藤氏によれば、情報戦の本質は「認識を変えさせる」ことにあり、ターゲットとなる国に対して影響を与えることで行動変容を促すことが狙いとなる。
この考え方の歴史的背景として、同氏は1920年頃を重要な転換点として挙げた。この時期にラジオや映画といったメディアが一般に普及し始め、これらを駆使して敵対国家や自国民の戦争への意識を高めるというプロパガンダ手法が体系化されていった。
そしてインターネットが普及し始めた2000年代以降、「カラー革命」という第2の転換点が訪れる。「カラー革命」とは、旧ソ連諸国やその周辺地域で起こった非暴力的な政権交代運動のこと。各国で特定の色をシンボルとして使用したことから、その名が名付けられた。グルジアのバラ革命(2003年)、ウクライナのオレンジ革命(2004年)などが代表例である。これらの革命では、インターネットやSNSを活用した情報拡散が重要な役割を果たした。専制国家でネットを使った革命の誘導が起こり始めたのだ。
「2011年にチュニジアで起こった『ジャスミン革命』では、革命の誘導を促すショートメッセージの40%は国外から発信されたものだったとされています。昔はこういった革命や国内的な動きは狭い地域に限定されていましたが、インターネットの普及によって遠い場所から誘導することが可能になったのです」(齋藤氏)
さらに近年ではSNS、アドテック(広告技術)、AIなどの技術を駆使しながら、サイバー空間における影響工作が先鋭化している。2016年のアメリカ大統領選挙におけるロシアの介入は、デジタル影響工作が広く認知される契機となった。