全社Slackへの投稿に反応はたった2個──。ある製造業が「社内DX大学」を立ち上げた時の組織の姿だ。27名の任命制でスタートしたが、自主的に動いたのはわずか5名。1年目の失敗から見えてきたのは、「内発的動機」と「上司の理解」という2つの条件の重要性だった。2年目、任命制を撤廃し公募制へ転換。すると変革は加速し、沈黙していた組織は対話する組織へと変わり始めた。DXの本質は技術ではなく組織文化の変革にある──その実践から得た教訓を紹介する。

全社Slackチャンネル、投稿への反応はたった2個
全社Slackチャンネルに数百人が参加している。しかし、「社内DX大学を開校します!」という告知投稿に対するリアクションは、たった2個だった。
これが、ある製造業が社内学習コミュニティを立ち上げる直前の組織の姿である。
チャンネルに流れるのは、業務連絡だけだ。「〇〇の件、対応お願いします」「△△の納期を確認してください」。淡々とした指示と依頼が並ぶ。リアクションはない。返信もない。ただ黙って処理するだけだ。
雑談はない。誰かが「週末、面白い記事を読んだんですが」と投稿しても、新しい技術の情報を共有しようとしても、誰も反応しない。学んだことを共有する場所ではない。
なぜ誰も反応しないのか。他人事だからだ。自分の業務に関係ないことに、わざわざ反応する必要はない。それに、日々の業務で精一杯だ。業務以外のことを考える余裕はない。「リアクションしてる暇があったら仕事しろ」。そんな空気が組織全体を覆っていた。ならば、黙っておく方が得だ。この合理的な判断が、組織全体を沈黙させていた。
結果、Slackは「業務連絡の一方通行ツール」になった。ツールはある。しかし、対話はない。新しいアイデアを語る場所ではない。
そんな組織が、「社内DX大学」という学習コミュニティを立ち上げようとしている。このSlack上の空気感が、これから始まる挑戦の難しさを物語っていた。
ある日の打ち合わせが示した組織の病
前向きな社員が「〇〇の業務改善はどうでしょうか?」と提案した。すると上司は「じゃあ、やっといて」と他人事のように答え、結局その社員に丸投げした。失敗すれば責任だけを追及され、議論と人格否定を履き違えた批判が飛んでくる。
その社員は「言わなきゃ良かった」と後悔し、組織は「出る杭」として彼を打ってしまう。やる気のある人ほど辞めていき、残るのは「事なかれ社員」と「物言わぬ社員」だけになる。
この悪循環を何度も見てきた。問題は個人ではなく、組織の構造にある。
この企業は「逆ひょうたん型組織」だった。60代・50代のベテラン層と20代の若手は多いが、次世代を担うべき30代・40代の中間層がまったく育っていない。ベテラン層は「背中を見て盗め」「俺のやり方以外認めない」という生存者バイアスに囚われ、若手の育成ができない。中間層不在のまま、組織は硬直化していた。
さらに深刻だったのは、ナレッジシェアの文化が皆無だったことだ。知識は属人化し、ベテランの頭の中だけに存在する。「あの人に聞かないとわからない」が常態化し、引き継ぎは口頭のみ。ドキュメントは存在せず、若手は何も学べない。
この組織で何か新しいシステムを導入しても、使われるはずがない。必要なのは、技術ではなく、組織文化の変革だった。
DXの再定義:「D」と「X」を分けて考える
社内DX大学を立ち上げるにあたって、この企業は重要な気づきを得た。DXを「D(デジタル技術)」と「X(組織文化の変革)」に分けて捉え直したのだ。
多くの企業が「D」だけに注目する。新しいシステムの導入、ツールの選定、デジタルスキル研修。しかし、それだけでは変革は起きない。むしろ「X」こそが本質だと考えた。
なぜなら、どれだけ優れたシステムを導入しても、組織文化が変わらなければ使われない。Slackを入れても、誰も投稿しない。ノーコード開発ツールを導入しても、誰も作らない。ツールは揃っているのに、誰も使おうとしない。
問題は技術ではなく、組織文化だった。業務以外のことは他人事。目の前の仕事で精一杯。学習や情報共有は「仕事ではない」と見なされる。この文化が、あらゆるデジタル施策を無効化していた。
だからこそ、社内DX大学のカリキュラムは、デジタルスキルとマインドセットの二本柱で構成することにした。ノーコード開発ツールの使い方だけでなく、心理的安全性、ナレッジシェアリング、デザイン思考、アジャイル、越境学習といったマインドセットを丁寧に教える。
「システムを使う人が、必要なシステムを自分達で作る」。この目標を実現するには、技術と組織文化、両輪が必要だと考えた。
社内DX大学の立ち上げと「木こりのジレンマ」
立ち上げ時、この企業は「全社展開」を選択した。各部署から1人ずつ任命し、経営者・経営層も含めて計27名でスタートする。
判断の理由は明確だった。全社に広げれば、早く変革が進む。各部署に「種」を撒けば、そこから変革が広がっていく。小さく始めるより、大きく始めた方が効率的だ。DX推進者として、合理的な判断に見えた。
開校から数週間後、参加者からこんな声が上がり始めた。
「研修を受ける時間があるなら、通常業務をやりたい」「今、現場が忙しいのに、なぜ研修なのか」「いつまで続くのか」
これは「木こりのジレンマ」と呼ばれる、典型的な反応だ。木こりが「斧を研ぐ時間があるなら、木を切りたい」と言うように、目の前の業務に追われ、学習の時間を「ムダ」と見なしてしまう。
参加者の多くは、やらされ感を抱いていた。各部署から「任命」されて参加しているため、「自分がやりたい」という気持ちがない。上から降ってきた研修に、受け身で参加しているだけだ。
このジレンマを乗り越えるには、デジタルスキルだけでは不十分だった。技術を教えるだけでは、「業務の邪魔」という認識は変わらない。やはり必要だったのは、マインドセットの変革だった。
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熊本 耕作(クマモトコウサク)
公益財団法人九州先端科学技術研究所(ISIT)特別研究員。現場から経営戦略、組織開発、AI活用まで——部門と領域を越えて全体をデザインする"越境型DXアーキテクト"。
20年にわたり、現場に深く入り込みつつ全社を俯瞰して構造を再設計。製造・調達・物流のDXからAIによる人員配置最適化、生成AIの全社展...※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です
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