元エーザイCFO「経理・財務部門は真の“価値創造主”である」 AI時代にも活きる「柳モデル」の底力
人的資本はコストではなく“価値を創出する投資” 見えない価値を数字で示す方程式
エーザイが実践した「柳モデル」と「インパクト会計」 “人件費=価値ある投資”の方程式
非財務価値を客観的に測定し、証明する具体的な解決策として開発されたのが「柳モデル」と「インパクト会計」だ。
柳モデルは、財務(ROE)の影響を統計学的にコントロールした上で、各ESG KPI(非財務指標)が何年のタイムラグを経て、PBR(企業価値)をどれだけ向上させるかを実証的に導き出す回帰方程式。柳氏がCFOを務めていたエーザイでは、過去10〜20年の財務・非財務データを遡り、1,080件のESGデータとPBRの推移を照らし合わせて検証した。その結果、ESG投資と企業価値の間に、以下の正の相関が統計学的有意性をもって証明されたという。
- 人材開発費(人件費)を1割増やすと、5年後のPBRが13.8%向上する
- 研究開発費を1割増やすと、10年超にわたり企業価値を長期的に高めつづける
- 女性管理職比率の向上は7年後に、育児時短勤務制度の利用促進は9年後に、企業価値を向上させる
上記の結果を開示し、ブラックロック、ウェリントン、ハーミスといった世界的な長期ファンドと年間約1,000回の対話を重ねたことで、これらは投資判断プロセスとして正式に組み込まれるに至った。
現在、柳モデルはアビームコンサルティングでの共同研究などを通じ、日本の主要先進企業100社以上に採択されている。さらに、どの企業にも共通して企業価値に寄与する「アビーム・トップ30」などの共通KPI(CO2削減、介護支援、研修、リテンション、女性管理職比率等)も明らかになった。
これは、非上場や中堅・中小企業でも企業価値向上のために点検すべき指標だ。また、日本企業全体を対象としたマクロ分析でも、人件費への投資を1割増やすことで、5〜10年後にPBRを約3%向上させる効果が実証されているという。
ここで留意すべきは、投資実行の0〜1年目(足元)段階ではPBRに一時的なマイナスの影響を与える点だ。人件費などの追加は会計上のコストとなり、短期的には利益を下げる。そのため、短期的な利益だけを追うショートターミズム(短期思考)やショートセリング(空売り)の圧力にさらされると、株価が下落してしまう。だからこそ、経営陣は5年・10年のロングターミズム(長期思考)に立ち、人的資本への投資を断行しなければならない。
また、人的資本がコストではなく“価値を創出する投資”であることを裏付けるもう1つの手法が「インパクト会計」だ。これは、ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)のジョージ・セラファイン(George Serafeim)教授らが主導するもので、企業が創出する社会的価値を貨幣換算する試みだ。なお、柳氏は日本初の公認事例として、エーザイにおける雇用の社会的インパクトを算出した。
エーザイの国内年間人件費は約360億円。通常はすべてコスト処理されるが、インパクト会計の手法を用いて、男女の賃金差や女性管理職比率、採用実績、最低賃金や失業率などのデータをもとに社会的ベネフィットを算出した結果、約270億円のプラスの雇用の社会的インパクトが創出されていることが分かった。すなわち、人件費の75%が社会的価値投資として結実している。人件費が削るべき経費ではなく、将来価値を育む“人材投資”であることを数字で実証したのだ。
また、この柳モデルとインパクト会計の威力は、社外への開示だけでなく、“社内浸透”によるインサイド・アウトの活性化にある。同社は、人事部門と経理・財務部門が密に連携し、結果をヒューマンキャピタルレポートなどに開示するとともに、労働組合との労使協議会(決算説明会)で説明。従業員に対して、「あなた方の労働は、当期の利益を削るコストではない。5年後の企業価値を13.8%向上させる、価値創造の主役そのものだ」とデータで証明した。
「このデータを説明した際、組合員たちの目の色が変わりました。『自社の数字で、私たちの働きが将来価値を高める投資だと、会社のCFOが自ら証明してくれた。こんなにモチベーションが高まることはない』と喜びの言葉を述べてくれたのです。これこそ、数値化のもつ計り知れない力です。外の市場に評価される以上に、身内である社員の魂に火がつき、エンゲージメントが劇的に向上したことこそ、CFOを務めた10年間で最も嬉しい出来事でした」(柳氏)
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