元エーザイCFO「経理・財務部門は真の“価値創造主”である」 AI時代にも活きる「柳モデル」の底力
人的資本はコストではなく“価値を創出する投資” 見えない価値を数字で示す方程式
今後はコストから始まる「パーパス経営」へ 経理・財務部門は“真のバリュークリエイター”になれ
企業の本質的な価値は、自らが掲げる企業理念をいかに体現するかという点に帰結する。エーザイでは、「患者様貢献(hhc:human health care)」を定款に掲げ、社会価値と経済価値の二律創生を目指している。
その象徴が、開発途上国の感染症「リンパ系フィラリア症」の治療薬を、世界保健機関(WHO)と連携してすべて無償で提供しつづけるプロジェクトだ。これは、2030年頃に想定される地球上からの病気の撲滅まで継続される。一見、単なる寄付や赤字事業に見えるこの活動だが、これは「価格ゼロの価値創造投資戦略」だと柳氏は述べる。
同氏はこの価値を証明するため、ハーバード大学との共同論文において、無償提供した16億錠以上の社会的影響を評価した。医学的エビデンスをベースに、健康を取り戻した人々の「回復した労働時間(生涯賃金)」と「削減された医療費」を算出。その結果、エーザイが社会に創出したライフタイム価値は、5年間で約6.7兆円、年平均にして約1600億円に上ることが明らかになった。この数値化は、ブラックロックなどのESG投資家を引きつける原動力となり、PBRの向上を裏付けている。
こうした“見えない価値”を可視化する試みについて、「知の巨人」と呼ばれる野中郁次郎氏も「柳モデルは、CFOによる『企業理念』という究極の暗黙知を、PBRという市場の『形式知』へと転換する、稀有な試みだ」と評価しているという。
なお、野中氏が提唱した暗黙知を組織全体で活用できる形式知に変換するフレームワーク「SECIモデル」では、組織の価値を「共同化」「表出化」「連結化」「内面化」のスパイラルで高められる。エーザイでは、全従業員が業務時間の1%(年間約2日間)を、患者との活動に充てている。患者の喜びや苦しみを共に経験することで暗黙知を獲得し(共同化)、気づきを全社で議論して言葉にし(表出化)、柳モデルやインパクト会計によって形式知に統合する(連結化)。そして、可視化された価値創造の成果が従業員にフィードバックされることで、従業員らのパーパスへの確信を深め、より高次元での暗黙知へと内面化されていく。この暗黙知と形式知の往復運動こそが、自律的な組織エンゲージメントの源泉だ。
この循環において、「AIやデジタル技術は有用な道具となる」と柳氏。AIによる膨大な非財務データの自動収集、因果推論、あるいは将来予測のシミュレーション技術や統合報告書の作成支援は、経理・財務部門の業務構造を劇的に進化させるだろう。しかし、いかにデジタル技術が進歩しようとも、経営の本質は最終的に人に帰結する「ヒューマライジング・ストラテジー(人間中心の戦略)」でなければならない。
これは、経理・財務業務におけるDXの捉え方にも共通する。たとえば、経費精算プラットフォームなどのデジタルツールを導入する真の価値は、管理コストの削減ではなく、「社員を無駄な事務作業(暗黙の非効率)から解放すること」にある。領収書の糊貼りといった非効率な作業から解放し、クリエイティブで戦略的な思考や人的資本を活性化させる活動へと時間をシフトさせる。その結果としての生産性向上やエンゲージメント改善は、まさに“人への投資”であり、最終的には中長期的な企業価値(PBR)の向上として実を結ぶ。
かつてのミルトン・フリードマン(Milton Friedman)に代表される古典的な資本主義思想では、利益を最大化するために、コストである人件費や経費を徹底的に削ることが正義とされ、それが短期思考を生んできた。
しかし、『知識創造企業エーザイ 「生き方」の経営』(奥村昭博・野中郁次郎・川田英樹 著、2026年、日経BP)で提示されたフレームワークでは、その順序を逆転させた。「人的資本や未来への投資をまず行い、それによって社会や顧客からの信頼(=売上)が獲得され、事後的に結果として利益がもたらされる」という、投資から始まるパーパス経営だ。
経理・財務部門は、単なる「コストの門番」ではない。非財務資産を可視化し、見えない価値への投資を促し、組織のエンジンを回す「真のバリュークリエイター」である。
「デジタル化やAIの導入が進む現代において、忘れてはならないのは、すべてのテクノロジーは『人間を非効率から解放し、そのエンゲージメントを高めるための道具』に過ぎないという点です。デジタルという無機質な道具の先には、常に『人』という生身の資本が存在しています。経理・財務に関わる皆さんが、自社の“見えない価値”をデータと論理で証明し、人への投資を力強く呼びかけるリーダーシップを発揮できれば、日本企業の価値は間違いなく倍増します。自信をもって、共に日本を変えていきましょう」(柳氏)
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