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#056 来年の手帳を買った赤鬼が、泣き笑いで振り返る2010年


来年の手帳を買った赤鬼が、泣き笑いで振り返る2010年


究極の手帳とは、ある人によれば、
そのページに一文字も書き込む必要のないものなんだそうです。
ただそれを持ち歩き、ときどき人目にさらすだけで
あらゆるビジネスがうまくゆき、過密なスケジュールも
難なくこなせ、ゆくゆくはタイム紙の表紙を飾ることになる、
そういった魔力を優れた手帳は備えているべきだというんですね。

また、ある人によれば、究極の手帳アプリとは、
インストールする必要のないものなんだそうです。
単に、それを導入するつもりであることをネット上で
つぶやきさえすれば、仕事のできる人物であるという評判が
うなぎのぼりに天井知らずで、
うなぎ屋なのに天丼たのんで、
でも、いやな顔ひとつせず作ってくれた。
うなぎの天ぷらにうなぎのタレがかかっていた。
おいしかった。
そんな体験談を手帳に書き留めている最中も、
彼の脳裏を離れないのは、あの、究極の手帳のことでした。

ある人が彼に語ったところによれば、
究極の手帳にはページというものがありません。
究極の手帳は、予定という概念を否定します。
究極の手帳は、予期不能な出来事こそが重要であるという
立場にたって、予測不能な出来事を呼び込む呪物としてのみ
機能するように作られています。
ただそれを持ち歩き、ときどき人目にさらすだけで
彼はあらゆるトラブルに巻き込まれました。
5回の不時着、12回の炉心溶解事故をからくも切りぬけて、
ようやく彼も、これが単なる呪いの文具でしかないことを
認める気持ちになったのです。
人生というものは多かれ少なかれ呪われたものですが、
えー、ここまでの文章からご想像いただけるとおり、
筆者は手帳というものを使ったことがありません。

年金手帳なら持ってますし、
「暮しの手帖」を愛読してもいましたが、
手帳の必要性というものを切実に感じたことがないんだそうです。
(つい伝聞調で書いてしまいましたが、筆者自身の話です)
手帳がなくても問題なくやってこれたという
自負のようなものもありますが、
手帳の有無などという些細な差異をはるかに越えたレベルで
やってこれなかった、という内なる声も聞こえ、
よくわかりません。
人生がいまだによくわかりません。

「手帳を使ったことがない」と言うとき、筆者にとってそれは
「手錠をはめられたことがない」と言うようなもので、
手帳というものを、これからもまず自分が体験することはないであろう 事柄のひとつと見なしているようなのです。
しかし、この先の人生で手錠をはめられることがないはずと、
そんなに簡単に言い切れるものなんでしょうか?
なにかやらかしちゃう可能性は本当にないんでしょうか?
人生に破滅をもたらす無数の見えない弾丸の射線から
自分は外れたところにいるはずだなどと本当に、
なんの話をしていたんでしょうか。
そう、手帳です。

究極の手帳が渋谷の東急ハンズで売られているのを
見たことがあると、彼の友人が語ったというのです(酒の席で)。
彼はそれを信じたのでしょうか。
関係者の証言で明らかになっているのは、
彼が結局はアイフォンを買い、アプリのスケジューラで
日々の予定を管理しているという事実です。
「紙の手帳はもう卒業だ」という発言が記録に残っています。

しかし、2010年の年の瀬、究極の手帳は転々と持ち主を変えながら
彼のすぐそばに迫ってきていたのでした。
2011年に彼の身に起こることはまだ一つとして予定になく、
禍々しい予感だけを残して、この混乱した手記も唐突に終わります。
さあ、忘年会だ!
 

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この記事の著者

倉田 タカシ(クラタ タカシ)

「ネタもコードも書く絵描き」として、イラストレーション、マンガ、文筆業、ウェブ制作、Adobe Illustratorの自動処理スクリプト作成など、多方面で活動。
イラストの他に読み札も手がけた「セキュリティいろはかるた」はSEショップより発売中。
河出文庫「NOVA2-書き下ろし日本SFコレクション」...

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