デジタル時代にもかかわらず手書きの「小泉ノート」でスキルを磨いた
株式会社アシスト 情報基盤事業部 データベース製品統括部 2部に所属する高瀬洋子さんが、大学時代に学んだのはロシア語。ちょうどソビエト連邦が崩壊する年で、今後は日本もロシアとの関係が広がると考えてのことだった。
ところが、大学を出て就職先として選んだのは、パッケージ・ソフトウェア・ベンダーのアシスト。この時点で、IT関連のスキルはまったくなかった。
にもかかわらず、ITの世界を選んだのはなぜか。語学はそれそのものを仕事にするよりは、仕事をする上での手段。
「これからはITが使えれば武器になる。語学と合わせればさらに武器にできると考えました。そしてIT企業の中でもアシストを選んだ理由は、女性取締役がいて、女性が働きやすそうな会社だと思ったからです」(高瀬)
しかし、未経験者にITの世界はやさしくなかった。就職して最初にぶつかった壁が、新人研修。講師の先輩社員が言っていることが、ほとんどわからない。
日報で先輩社員へ疑問点を記載するところに「e-mailと手紙の違いは何ですか?」と書くくらいだった。ちなみにこの質問に対し先輩は、「気持ちの違いかな」と応えたとか。
周りを見回せば同期社員はキャッチアップが早い。この時点で、自分がこの世界では追いついて行けないと感じくじけそうになったとか。しかし、高瀬さんは、元来の負けず嫌い。研修後のOJTでの実践で、なんとか技術と知識を身に付けた。
その際に活用されたのが、通称「小泉ノート」。
「小泉」は高瀬さんの旧姓だ。最初に配属されたサポートセンターでは、Oracle Databaseに関連する質問が日々やってきて、調べてそれに応えるのが仕事だったという高瀬さん。
質問は多様だが傾向があり、次第に同じような内容の質問、同じエラー番号に関連する質問があることが分かってきた。当時、質問への対応は紙の依頼書で回ってきた。そこで、質問をエラー番号ごとに分類し、タグ付けしたノートに1枚ずつ依頼書を貼り付け、その回答をノートに記述して記録する作業を地道に続けた。
こうして作られた小泉ノートは、10冊にもなったという。もちろん当時もExcelなどのツールはあったので、それらに質問と答えを入力し簡易データベースを作ることはできただろう。
「だけど私は基本的にはアナログ人間なので、紙のノートに依頼書を糊で貼り付け、そこに手書きで回答を記述していきました。タグでエラー番号ごとに分類したので、便利でしたよ。地道にこの小泉ノートを作り続けたことが、今思えば最初の技術力の糧になりましたね」(高瀬さん)