メインフレーム時代のデータベースについて知ろう!
「NHKの『プロジェクトX』、知ってますよね?」
プロジェクトX、もちろん知ってますとも。かーぜーのなかのす~ばる~。
「……みどりの窓口のプロジェクトがきっかけでですね、」
おっとそうだ、データベースの話をしていたのだった。しかし、「みどりの窓口プロジェクト」とは一体?
話は、1960年代まで遡る。当時、国鉄(現JR)のみどりの窓口での発券は、すべて手作業で行われていた。しかし、高度経済成長の真っ只中、特急や夜行列車のニーズは急増。手作業による発券は、完全に限界を迎えていた。そこで、国鉄が日立と手を組んで挑んだのが、世界初の座席予約システムの開発だった。このシステム開発、実に14年もの歳月が費やされた一大プロジェクトとなった。その間の技術者の汗と涙の物語が、プロジェクトXで紹介されたのだ。
この番組の内容は、DVD『プロジェクトX 挑戦者たち 第VIII期 100万座席への苦闘 “みどりの窓口・世界初鉄道システム”』で観ることができるので、興味のある方はぜひご覧いただきたい。かーぜーのなかのす~ばる~。
おっとそうだ、データベースの話をしていたのだった。実はこの「みどりの窓口プロジェクト」にこそ、日立のデータベース開発の原点があるのだという。このプロジェクトの発足をきっかけにして、日立は自社内に、世界初となるソフトウェア専門事業所「ソフトウェア工場」を設立したのだ。
今日の感覚からすると、メーカーがソフトウェア専門の事業所を設けるのはごく当たり前のように感じるが、1960年代当時はコンピュータといえばメインフレーム。あくまでもハードウェアが主役で、ソフトウェアはそのおまけという位置付けにすぎなかった。そんな当時から、ソフトウェア専門の事業所を他社に先駆けて設立した日立は、それ以降、メインフレーム用ソフトウェアの開発にまい進する。
この過程で、メインフレーム用のデータベースソフトウェアが次々と生まれることになるのだ。1974年に生まれたのがネットワーク構造型データベース「PDM」と階層構造型データベース「ADM」、1977年にはデータベース機能を内蔵した金融証券向けオンラインコントロールプログラム「TMS-4V」をリリースする。まだリレーショナルデータベースが存在しなかった時代のことだ。
そして1980年代、リレーショナルデータベース技術が世に初めて登場すると、日立でも早速、大規模システム向けリレーショナルデータベース「XDM/RD」をリリースする。現在、データベース技術者なら誰もが知っているSQLは、ちょうどこのころ世間に登場したのだ。つまり日立は、リレーショナルデータベースとSQLの登場以前から、常にデータベース技術の最前線で製品開発を続けてきたというわけだ。
……とここまで、メインフレーム時代の日立のデータベース開発について、その歴史をざっと振り返ってみた。ベテランエンジニアの方にとっては、「いやー、懐かしいなあ」という内容だろうが、中堅・若手の方々にとっては初めて聞くような話ばかりかもしれない。でも実はメインフレーム時代から、国内メーカーによるデータベース開発は脈々と行われていたのだ。
いやー、勉強になりますね。日の丸データベースの歴史についてもっと詳しく知りたい人は、ぜひ情報処理学会が運営しているサイト「コンピュータ博物館」で勉強してみましょう。