頑なに「国産・自製」にこだわるわけとは?
ここまで、日立がメインフレーム時代から現在に至るまで、データベース製品をひたすら自製し続けてきた歴史をざっと振り返ってみた。確かに、これだけの歴史を知ってしまうと、日立がデータベースベンダーだと認めざるを得ない。今まで勘違いしてて、ゴメンナサイ……。
と、ここで石川さんが一言、
「そもそも、なぜ日立がここまで自社開発にこだわるのか、疑問に思いませんか?」
ギクリ。考えを先読みされてしまった。でも、確かに海外製品を持ってきて手っ取り早く組み合わせた方が、ビジネス的には効率がいいような気も。
「それでは不十分なんです!」
スイマセン……。
「私たちのミッションは、ITで社会インフラを支えて、人々の夢を現実に変えること。そのためには、24時間365日動き続けるシステム、万一何か起こっても即座に対応できるシステムが必要です。日立が担うのは、そういうインフラを支えるミッションクリティカルなシステムです。そのために、あくまでも国産と自製にこだわっているのです。さらにいえば、国産・自製へのこだわりは、100年前の日立創業時から脈々と受け継がれた文化なんです」
100年前?! 何だか、えらくスケールの大きな話になってきた。もはやプロジェクトXどころの話ではない。
と聞くと、何だか大げさな話に聞こえてしまうが、「要は有機野菜のように、『生産者の顔が見える』データベースということですね!」と石川氏は笑う。なるほどなるほど、有機栽培か。では一体、どんな人たちが日立のデータベースを栽培、もとい開発しているのだろうか? そもそも日立の創業は、創業者の小平浪平氏が明治末期から大正初期にかけ、日立鉱山に当時としては国内最大級の国産発電設備を建設したことに端を発する。当時の発電設備はほとんどが外国製だったところに、小平氏はあくまでも国産技術にこだわり、国産発電インフラのパイオニアとして日本の産業史に大きな足跡を残した。この創業者の精神が、今でも日立の国産・自製へのこだわりとして引き継がれているのだという。
というわけで次回は、日立のデータベース開発の現場に突撃取材を敢行して、開発者の生の声を紹介してみたいと思う。石川さんによれば、「面白いキャラがいっぱいいますよー!」とのこと。大いに楽しみだ。