データベースは闘いだ!
そして今回の職場訪問のトリを飾るのは、DB設計部のドン、大田原実部長へのインタビュー。お仕事中、あつかましくも部長席の前まで押し掛けて、いろいろなお話を伺いました。
──現在、DB設計部を率いる立場にある大田原部長ですが、過去にはどのようなお仕事をされてきたのでしょうか?
大田原部長 1983年に日立に入社して以来、DB設計部一筋で、今年でもう30年目になりますね。当初は、メインフレーム上のデータベースの開発の仕事をしていました。まだリレーショナルデータベースがなかった時代で、「構造型」や「ネットワーク型」と呼ばれるデータベースを作っていました。その後、「XDM/RD」というメインフレーム用のリレーショナルデータベースが出てきて、その開発に長く携わっていました。現在のHiRDBの原型となったデータベースですね。その後、開発を少し離れて、「Entier」やHADBも含めたすべてのデータベース製品の開発プロジェクトを見るようになりました。
──まさに、データベース一筋ですね。
大田原部長 そうですね。昔から「データベース屋はこだわりが強くて、頭が固い」などと言われてきたのですが、私はこれは決して悪いことだとは思っていなくて、むしろ逆に「データベースのことだったら絶対に任せてくれ」と言えるようなこだわりと誇りを持ってほしいとDB設計部のメンバーには常々言っています。
──ちなみに、お仕事をされる上でのモットーのようなものはありますか?
大田原部長 うーん、なかなか言いづらいことなんですが……DB設計部って昔から「武闘家」と呼ばれているんです。「日々闘っている」ということですね。どういうことかと言いますと、OSはたとえ問題が発生してもリブートして復旧、通信も再送するという対応がとれます。でもデータベースは、「壊れたらもう1回作り直してください」では通用しない世界なんです。なので私たちは、もしお客さまのデータベースが壊れてしまったら、たとえ製品自体の不具合ではなくても、その復旧に全力を尽くします。ときには復旧させるのが技術的に難易度が高い場合もあるのですが、それでも最後まで決して諦めずにお客さまのデータを守りたいと考えています。これはまさに「日々闘い」です。
──「データベースは闘いだ!」ということですね! ちなみに、お仕事を離れた時間は、ご家族で過ごされることが多いのでしょうか?
大田原部長 そうですね。子どもが3人いるのですが、真ん中の男の子が今小学6年生でテニスをやっていて、先週末も試合があったので観に行きました。一番下の女の子は小学3年生で、空手を習っています。ときどき大会や昇段審査を観に行ったりしますね。
──空手ですか! 親子共々、闘っているわけですね!
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以上、日立のデータベースの「中の人」についてお届けした。今回登場していただいたのは、ごく一部の方たちだが、現場の雰囲気はある程度伝わったのではないだろうか。
現場の方々には、フランクに接していただいたおかげで、ほのぼのとした雰囲気の職場なのかと思いきや、やはりミッションクリティカルな基幹システムや社会インフラを支える日立のデータベース製品だけあり、裏では日々シビアな闘いが繰り広げられているわけだ。きっと今この瞬間にも、日立DB部のエンジニアたちは地球のどこかで、顧客のデータを守るために闘いを繰り広げているのだ。
さて次回は、先日の「ITpro EXPO AWARD」で大賞を受賞してから、問い合わせが殺到中らしいHADBを掘り下げていきたいと思う。HiRDBがあるのに、