ITエンジニアとしての仕事は40歳からの派遣社員
「ちょうど40歳の時でした。これでやっと憧れのITの仕事ができると。とはいえ現実は厳しく、20社くらいに応募したのですが、すべてダメでした」(市川さん)
独学でプログラミングができる、企業でITシステム構築のプロジェクトマネージャをやったとはいえ、それらの経験はなかなかIT企業には認めてもらえなかった。結局は派遣会社に登録し、そこから企業に派遣されシステム開発の仕事に就くことになる。
派遣先はCD販売のHMVジャパン、音楽ダウンロード配信の新システムの開発をすることになる。このプロジェクトは、当時うまくいかずに停滞していたものだった。それを、派遣社員の市川さんが担当することになり、設計から実装までをほぼ一人で行った。結果的には、それまで進まなかったプロジェクトは、2ヶ月あまりで稼動にこぎ着けた。この実績で、当初は2ヶ月契約だったものが半年へと延長になる。
当時のHMVジャパンでは、社員がビジネス企画書を書き応募し、審査が通るとその企画書のプロジェクトが実施される制度があった。この企画書応募は派遣社員も対象となっており、市川さんにも何か企画書を書いてみてはと声がかかる。そこで、店舗で利用する新たなキオスク端末の企画で応募すると、なんとそれが採用されることに。企画が通ったので、市川さん作ってよとなったのだ。
そこで、Windows XPエンベデッドの環境をプラットフォームに、JavaScriptを活用した動きのあるキオスク端末を開発した。「いま考えるとAjax開発の走りだと思います」とのこと。このキオスク端末でも、利用ログを収集し、データを分析できるようにした。データを分析していくと、顧客は10枚のCDを視聴すると1枚買うということが分かったりも。このような成果を上げた時点でも、市川さんの身分はいまだ派遣社員のままだった。とはいえ、キオスク端末も顧客からは好評。さすがにこれら実績が評価され、市川さんは派遣社員から転身し、HMVジャパンの情報システム部門の課長となることに。
入社しすぐに携わったのが、データウェアハウスの構築プロジェクトだった。開発ベンダーからいくつかの提案を受け、選定しある会社に開発を依頼した。そして、SQL Serverベースのデータウェアハウスが、3ヶ月ほどで稼動を開始する。この時は、あくまでも案件の発注者であり、自らが構築に加わることはなかった。その後はユーザーニーズを取り入れ、バージョンアップを繰り返しながらそのデータウェアハウスは運用された。しかし、暫くすると、エラーが出てそのデータウェアハウスは止まってしまう。