はじめに
身の回りを見渡してみて、この状態から何か変わって欲しいと思うことはたくさんあるのではないでしょうか? 仕事の量や顧客の要求、納期や予算、プロジェクトのメンバー構成に、果ては上司まで。他にも開発マシンのスペックや息抜き用のお菓子の種類、数え上げればきりが無いですよね。
変えたいことがたくさんあるだけでなく、実際に何かを変えるということが、結構難しいことだということを皆さんも知っていると思います。その中でも人を変えていくということはさらに難しいことですよね。今回は、そんな「何かを変える」という部分に焦点を当ててお話ししようと思います。
なぜ変えたいのか?
「あなたは何を変えたいのですか?」
「そしてそれはどうしてなのですか?」
何かを変えたいと思っている人にこの質問をすると、変えたいものも変えたい理由も即座に答えてくれる人がたくさんいます。私はコーチとしてこんな質問をよく返します。
「本当に?」
自信たっぷりな人であればあるほど、私はそういった反応をすることが多いです。そのような人達の多くに、一度出した答えに囚われている雰囲気を感じるためだと思います。彼らは、自分で導き出した答えに執着してしまって、その時々にあらためて考え直していないように感じるのです。
このように、「自分が一度出した答えに囚われてしまう」という状態は、ごくごく自然な認知活動であると考えられます。新しく入ってくる情報は、まず、これまでの認知の結果に沿って解釈しようとします。
それでも認知の結果にそぐわない場合は、あたかもその情報が無かったことにしたり、情報の一部や全部を歪曲したりして、都合よく認知しようと脳が勝手に機能してしまうわけです。要するに脳の中で認知処理を効率よく行うための最適化プロセスのような仕組みなのです。
この例題を読んでみて下さい。
オブジェクト指向技術の発展は、ソフトウェア枝術の進歩と関連があるのだろうか?
オブジェクト指向技術は、ソフトウェア技術と・・・枝? 気づかなかった人もいるのではないでしょうか? これは、目からは正しく感覚情報が入力されているのに、認知上歪曲されてスルーしてしまう例の一つです。
図1もちょっとした一例です。本来単なる平面上の直線と面ですが、認知過程で奥行きが付加され、見方によっては立方体の向きが変化して見えます。このような、騙し絵やトリックアートなどは皆さんも試したことがあるでしょう。これはもちろん視覚だけでなく聴覚や他の感覚でもごく普通に起こっています。
さて、話を「何かを変える」のところに戻しましょう。たとえば何かを「変えたい」と思っていて、それは「こうだから」という理由付けをすでにしているのなら、あらためて今何が起きているのか、今どうなっているのかに目を向けてみましょう。
そうすると、有るのに見えなくなっていたところや、無いのに見えてしまっていたところ、過大や過小にしているところ、すでにある認知に合わせて歪曲しているところが見えてきませんか?
そういうところに目を向けてみましょう。たとえば、今あなたが抱えている仕事の量をもう一度、よく見て確かめてみませんか?もしかすると要らないものや漏れているもの、歪曲して見えているものはないですか?