ノイマンのセル・オートマタ研究
エドガー・フランク・コッド(Edgar Frank "Ted" Codd,1923年8月23日 - 2003年4月18日)
1950年ごろは米ソ冷戦時代が始まっています。その頃のアメリカには反共産主義の風潮が巻き起こります。それは、そのリーダの政治家の名前からマッカーシズムと呼ばれました。コッドは、それに反発してカナダに移住してしまいます。そして、カナダで彼はミサイルの弾道計算などのプロジェクトで働いたそうです。いきなり横道に逸れますが、マッカーシズムの犠牲になって名誉を剥奪されたのが第3回目に紹介したマンハッタン・プロジェクトの責任者で、ドイツでフォンノイマンと”ご学友”だったオッペンハイマーです。オッペンハイマーのようなアメリカ育ちのユダヤ人は当時のアメリカにユダヤ人を受け入れてくれる大学が少なかったことから自然な流れで団結力が強まります。そして、その一部が共産主義者になっていったのです。共産主義者の嫌疑は学生時代に会合に出たことがあるだけでかけられてしまいます。アメリカの大戦後の脅威はかつての同盟国であるソ連です。そして当時のソ連はユダヤ人閣僚が支配していたのです。オッペンハイマーが共産主義者だったのか?の真偽はわかりませんが、彼は「原爆を作ってしまったこと」を後悔し続け、水爆製造を拒んだのですから反体制派でした。第3回目に載せた記念写真の中の沈んだオッペンハイマーの表情は、笑顔のノイマンとは対照的に、苦悩のようにも見えます。
ユダヤ人の会合に関して、もう一つ。ノイマンが雇われた逸話(連載第2回目)で紹介したランド研究所の中で核戦略責任者にまで登りつめたユダヤ系アメリカ人であるアルバート・ウォルステッターの話があります。
会合に出ことがあることをランドでは、ひた隠しに隠した。友達付き合いだけの恣意であったとしても、それがばれたら職を失ってしまう…。
…結局、核戦略もユダヤ人が絡んでいたんですね!?
そんなマッカーシズムに、なぜイギリス人のコッドが反発したのか?そして国外追放のような目にあったのか?はわかりません。しかし、新天地のカナダでもミサイル研究のようなラボ色の強い仕事に就いたのですから、やはり、よっぽど優秀だったのでしょう。
遅咲きのコッドが、のちにリレーショナルデーターベースの父として「博士」と呼ばれるようになったのは、アメリカに戻りコンピュータ・サイエンスの博士号を「ノイマンのセル・オートマタ研究で」取得したからです。そして、卒業後はIBMに戻り、そこで発表した論文が前回紹介したProject Stretchの13章です。
セルオートマタは自然界の変化に富んだ状態をシステムとして捉えるためのモデルを単純化したものです。 1次元ではセル列は直線状に並びます。各セルは一つの値をとります。ここでは値ごとに色を分けたセルで表しています。そして上から下に一段づつ変化する様子、進化には一定の規則性があります。この図では各セルの両隣のセルの和がセルの値になる場合を示しています。右上のCODE NUMBERの値の後ろにある”3”は、3つの値のうちどれかを取り得ることを表しています。
http://www.stephenwolfram.com/publications/academic/computer-software-science-mathematics.pdf
これを読んで「なんなのか?」「なんの役に立つのか?」は僕にはわかりません。正直言うと、EDVACレポートを研究していても、未だ「ノイマン式」という意味にモヤモヤしています。だから八つ当たりで「非ノイマン」とか「反ノイマン」などと平気でマーケッティング用語として使う風潮にもイライラします。とはいえ、少しでもわかるためにデモンストレーションの動画を見てください。
スティーブン・ウルフラムはノイマン、コッドに精通し、後を継ぐ、現代の鬼才です。前半部分に出てくる雪の結晶の模様のようなものがパターンとして繰り返される…っていうのがセル・オートマタのデモです。