パンクロックが好きでイギリスの大学で電子工学を
データサイエンティストにつながる話として、シバタ氏が切り出したのはイギリスへの進学だった。パンクロックから音響に興味を持ち、電子工学を選んだ。物理であるが力学はあまり好きではなく、量子力学から素粒子の研究へと進む。大学で学ぶ中、シバタ氏はモデル化やコンピュータについて他人より理解が早いことに気づいた。
博士課程からポスドクではCERN(欧州原子核研究機構)で素粒子研究に携わる。膨大な実験データをコンピュータのシミュレーションを通じて解析していた。
当時影響を受けたのはアメリカの物理学者カイル・クラマー氏。シバタ氏によると「統計で尖った人」で、クラマー氏は発見のための統計について論文を発表していた。新しい事象を発見するためにどのようにモデルを構築するか、逆に言えばどのようなモデルを作ればより発見しやすくなるか。それには「現在のモデルを把握し理解することが大事になります」とシバタ氏は言う。
ここで言う「発見」の対象とは主にヒッグス粒子を指す。素粒子の寿命は短く、目に見えるものではないため、実験データの解析結果から証明しなくてはならない。膨大な実験データから探している素粒子が存在したことを素早く「発見」するにはどのような解析をすればいいか。そういう研究だそうだ。
「ヒッグス理論(粒子)を提唱したピーター・ヒッグス博士はすでに80代でした。ノーベル賞は生きている人間しか受賞できないため、早く発見してあげないと」とシバタ氏は言う。シバタ氏が研究職を離れた後、2012年にヒッグス粒子はCERNで発見され、2013年にヒッグス博士はノーベル物理学賞を受賞する。
リーマンショックの混乱を目の当たりにしつつも無影響だった
大学で素粒子研究をしていたものの、シバタ氏は「アカデミアだとフィードバックがない」と物足りなさを感じるようになってきた。論文は研究者しか読まない。ヒッグス粒子や宇宙のなりたちにつながる研究の尊さは理解しているものの、基礎研究だと自分の発見が実社会でどのように役立つか分からない。価値が理解されるのは50年後や自分の死後かもしれない。
ふと「人と仕事がしたい」とシバタ氏は考えるようになった。
気持ちとしては大きな転換点である。もともと高校で周囲に「なじめなかった」から中退したこともあり、自分では人との関わりは「得意ではない」と考えていたほどだ。得意なロジカル思考とコンピュータの才能を生かした研究に没頭するのではなく、むしろ苦手だった生身の人間と関わり、ビジネスの世界に飛び込みたいと思うだなんて。どうしたことだろうか。
きっかけとしてシバタ氏は2008年のリーマンショックを挙げる。シバタ氏はポスドク時代をニューヨークで過ごしていたため、リーマンショックの混乱を目の当たりにしていた。職を失った人や大損した人がウォール街周辺でモノを投げたり叫ぶなど荒れていた。
その一方、シバタ氏は研究職であり、優先順位の高い研究チームに属していたため安泰だった。このギャップ。すぐそばの実社会は大混乱なのに、自分は全く影響を受けてない違和感がシバタ氏を動かした。「逆キッカケですね」とシバタ氏は言う。
シバタ氏のように統計学のスキルがあると、就職先に金融系を選ぶ人が多い。デリバティブなどの金融商品は統計学や金融工学をもとにしているためだ(それがリーマンショックを招いたとも言われている)。だがシバタ氏は「価値あるもののために仕事をしたい」と考え、日本帰国後にボストン・コンサルティングに入社した。
ボストン・コンサルティングならデータ分析のスキルが生かせるし、多様なビジネスと関わることができる。「実世界の問題解決にデータ分析がどれだけ役立つか。自分の能力がビジネスにどれだけ通用するかチャレンジできる」とシバタ氏は考えた。
例えばテレビショッピングも手がけるECサイトの案件(いわゆるオムニチャネル)では、顧客のテレビショッピングとネットショッピングの相関関係を分析した。両方使う顧客の購買金額が高いことは明確ではあるものの、「両方使うからたくさん買う」のか「たくさん買う人が両方使う」のか因果関係は明確ではなかった。そうしたビジネスデータを定量的に分析していった。
「戦略は抽象的」とシバタ氏は言う。どの会社にどのような戦略が合うかは定量的に証明できるものではないからだ。しかしシバタ氏はビジネスデータから定量的に企業戦略を考えることをしていた。こうしたボストン・コンサルティングの取り組みはハーバードビジネスレビューに掲載され、書籍化もされている。邦題は「戦略にこそ「戦略」が必要だ-正しいアプローチを選び、実行する」(マーティン・リーブスほか著)で、シバタ氏はこの理論を裏付けする分析を担っていた。