インターネットとメディア・テクノロジーの進展は、文化の枠組みを大きく変えようとしている。これに伴い、従来の著作権法をはじめとする制度の見直しが急速に進んできた。また、グーグルが始めた図書館プロジェクトとそれに対する米国の和解は、クラウドコンピューティングと並ぶ「もう一つの黒船」として、日本のメディア産業に激震をもたらしている。 かねてからデジタル作品の権利の適正な公開を主張してきた、ローレンス・レッシグ氏に、こうした状況に対してのご意見を伺った。 インタビュー協力・通訳:山形浩生
フェアユースの問題
――日本では、政府の著作権をめぐる検討(注1)の中で、フェアユースが取り沙汰されています。教授は、デジタル著作物のコントロールの方法として「クリエイティブ・コモンズ」(注2)を提唱されてきましたが、フェアユースとの考え方の違いについてお聞きします。
フェアユースは、著作権法の範囲の中で作品の引用や利用の自由を認め、著作権者の権利をある程度制限するものです。
これに対して「クリエイティブ・コモンズ」は、作品の著作権の公開を適切にコントロールしていくのが目的です。米国では著作権のあるものを、その所有者の許可無く使うことを一部で認めています。
たとえば私の本を引用したり、批判する著作の中で再利用することは認められています。フェアユースの基本的な考え方は、法による保護と公共利用によるバランスをとることです。
ただ問題は、このバランスが完全なものではないということです。なぜなら、その境界が曖昧だからです。フェアユースが認める作品の利用の自由は、一般的には公共の利益のためとされていますが、実際は、利用に関する著作の権利を計測するコストが高すぎるという消極的な理由によるものです。
これに対して「クリエイティブ・コモンズ」は、著作物に対する公開や保護の段階を定義して、著作物や作品の中の適切なコントロールを目的にしたものであり、フェアユースの考え方を補完したり、改変したりする意図ではありません。
――日本でも、もともと著作権で保護される範囲の例外が存在します。米国と同じような文脈でのフェアユースの導入は、あまり意味がないと指摘する声もありますが。
著作権のフレキシブルな運用や「権利制限」をより正確にするという意義は重要です。ただ問題は、この「正確さ」に伴うコストがかかりすぎることです。
今日のデジタル時代では、作品の改変やコピーは簡単にできてしまう。これによりフェアユースに託される課題が、あまりにも膨大になってきてしまった。フェアユースは非常に重要な概念ですが、それによってすべてカバーしきれるものではないと思います。