ある概念の気づきを境にして、前後の様子がまるっきり違ってしまうことが私たちの日常生活にはある。「インサイト」が閃いたと呼ばれる瞬間だ。その瞬間が、いつ、どのような状況の下に起きるのか、分析的に説明することは難しい。だが、隠れたこの力こそ、科学の発展を駆動するものだと、哲学者で化学者のマイケル・ポランニーは考えた。それは、ビジネスの世界にも起きることだ。それを、「ビジネス・インサイト」と呼ぼう。(後編)
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インサイトとは
「時間の流れが一瞬止まり、ある空白の時間が流れた後、今まで自分を縛り付けていたフレームの力が弱まり、逆に内的な創造性や連想力が活性化される瞬間」というものがある。茫漠とした世界が、辻褄の合った全体として理解できた時などは、まさにその瞬間だろう。
人には、そういう瞬間がたびたび訪れる。私にも、日々の生活において、取るに足らないものだが、そうした瞬間はあった。その中で、覚えているのは研究に関わることである。
例えば、20年ほど前、何年もかけて日本各地の商店街を訪問し、商店街リーダーのお話を聞く調査を実施したことがある。お話をお聞きしてまとめたドキュメントは多数蓄積されたが、その場その場の印象や感想をまとめただけのもので、まとまった研究にはなっていなかった。そういうものかもしれないと思っていたその時、ある先輩の先生から年賀状を頂いた。そこには、「歴史を通貫する家族制度」の話が書かれていた。その瞬間、「日本における商業と家族の関わり」という、これまで誰も挑んだことがない研究課題が閃いた。
日本の零細小売店が、流通革命が始まって30年も経つのに当初予想されたほど店舗数が減ってはいない、それらの商店では親子継承が行われ、その率が海外諸国に比べて異常と言っていいくらいに高い、あるいは小さいながらも家族ぐるみで商店経営さらには商店街活動をしていること、等々。そうしたさまざまな我が国における小売商店の現実は、「商業と家族の関わり」という枠組みで説明できるのではないかと思った。さらに、近代的なチェーン小売商と比べて、非合理な存在としてしか見られてこなかった零細小売商だが、家族という新たな光を当てることができるのではないかという推察も生まれたのである。
目の前にデータが溢れているにもかかわらず、それらを辻褄の合った形に整理することができない。それは、カオスと呼ばれる状況だ。だが、一つの概念がカオスを秩序へ変える。地平が広がり、扉が一つ開けばまた一つと、次々に開いていく。秩序ある豊饒な世界が生まれる。「インサイトが閃く」というのは、こんな感覚だ。
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石井淳蔵(イシイジュンゾウ)
流通科学大学学長、神戸大学名誉教授(商学博士)。1970年、神戸大学経営学部卒業。同経営学研究科を修了後、同志社大学商学部および神戸大学経営学部・経営学研究科教授を経て、2008年より現職。
主要著書として、『ビジネス・インサイト−創造の知とは何か』(岩波新書、2009年)、『マーケティングの...※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です
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