マインドセット教育の実践:工夫と限界
心理的安全性、デザイン思考、アジャイル開発、越境学習。これらの概念を丁寧に説明し、実践的なワークショップも取り入れた。
特に心理的安全性については、生成AIを使ったロールプレイで理解を深めた。AIに「心理的安全性の低い職場」と「高い職場」の上司役を演じさせ、同じ提案をした時の反応の違いを体験してもらう。参加者は「これ、うちの上司だ」と苦笑しながらも、職場の問題を客観視できるようになった。
こうした泥臭い取り組みが功を奏することもある。しかし、「分かった」と「できる」の間には、深い溝がある。任命制で参加している27名の多くは、理論を理解しても、行動を変えようとしなかった。「面白い話だった」「勉強になった」。そう言いながら、実践には移さない。
それでも変化は起きた:自主的に動いた5名
開校から半年後、変化の兆しが見え始めた。
27名のうち、約5名が自主的に動き始めたのだ。彼らは任命されて参加していたが、マインドセット教育を通じて「これなら自分にもできるかもしれない」と感じ始めた。カリキュラムを通じて「これは使える」と気づき、自分ごとになった瞬間だった。
ただし、彼らが成功できたのは2つの条件が揃っていたからだ。本人の「やりたい」という気持ちと、上司の「やらせてあげる」という理解。
製造部門の参加者が、ノーコード開発ツールで簡単な在庫管理アプリを作った。上司は「業務時間内にアプリ作成の時間を使っていい」と許可した。それまで紙とExcelで管理していた在庫が、リアルタイムで可視化された。作業時間は30%削減され、発注ミスがゼロになった。
この成功体験を、コミュニティの定例会で共有した。事務部門の参加者が「自分にもできるかもしれない」と、経費精算のワークフローアプリを作った。営業部門も、顧客管理アプリに挑戦した。小さな成功から、次の挑戦を呼ぶ連鎖が生まれた。
しかし、自主的に動いたのは5名程度だった。残りの22名は、カリキュラムをこなすだけで、自ら行動を起こそうとしなかった。中には「やってみたい」と感じても、上司に「それは業務に関係あるのか?」と否定され、実践できなかった人もいた。
1年後の成果と課題
開校から1年後、月平均15件の業務改善提案が生まれるようになった。在庫管理、経費精算、品質チェック、顧客管理といった小さな改善が積み重なり、組織全体の効率が向上した。
数値的には成果が出ている。しかし、内実は異なっていた。
自主的に動いているのは、5名程度だけだった。残りの22名は、カリキュラムに参加するが、実践しない。「学んだことを現場で使ってみましたか?」と聞くと、「忙しくて」「まだできていない」という答えが返ってくる。
月15件の改善提案は、この5名が繰り返し提案しているから生まれている数字だった。27名全体に広がっているわけではない。全社展開したはずなのに、変革は一部にしか広がっていない。
なぜこうなったのか。1年目の終わりが近づく中で、この問いが浮上した。
1年後の振り返り:何が間違っていたのか
1年目が終わり、2年目をどうするか検討する時期が来た。
この企業は組織開発の手法を学び始めた。DXは技術的な問題ではなく、組織の問題だ。ならば、組織開発の知見が必要だと考えたからだ。
そこで出会ったのが、「内発的動機」という概念だった。
人は、外部から与えられた目標(外発的動機)では、本気で動かない。自分がやりたいと思った目標(内発的動機)があって初めて、主体的に行動する。
この概念に出会って、1年間の出来事が腑に落ちた。自主的に動いた5名は、内発的動機が芽生え、かつ上司の理解があった人たちだった。残りの22名は、内発的動機が芽生えなかったか、芽生えても上司に潰された。この違いが、すべてを説明していた。
任命制が間違っていた。
各部署から1人ずつ任命したことで、参加者は「やらされている」と感じていた。上から降ってきた研修に、義務感で参加していただけだ。カリキュラムは受けても、自分ごとにならない。だから実践しない。
全社展開という判断は、焦りから生まれていた。「早く変革を広げたい」「効率的に進めたい」。しかし、その焦りが、内発的動機を育てる機会を奪っていた。
DX推進者がよく犯す過ちだ。変革を急ぐあまり、全社展開し、任命制にし、強制参加させる。結果、「やらされ感」だけが残り、本質的な変革は起きない。
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- この記事の著者
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熊本 耕作(クマモトコウサク)
公益財団法人九州先端科学技術研究所(ISIT)特別研究員。現場から経営戦略、組織開発、AI活用まで——部門と領域を越えて全体をデザインする"越境型DXアーキテクト"。
20年にわたり、現場に深く入り込みつつ全社を俯瞰して構造を再設計。製造・調達・物流のDXからAIによる人員配置最適化、生成AIの全社展...※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です
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