仮説→実証のサイクルを迅速に
中島氏の後を受けて登壇したのは、GoogleのシニアエンジニアリングマネージャとしてWeb業界では著名な及川卓也氏である。奇しくも中島氏と同じ、Microsoft出身の技術者だ。講演のタイトルは「ソーシャル×モバイル×クラウド時代の開発の方法論」、Webエキスパートの同氏ならではのテーマだ。
及川氏はまず、カンファレンスのテーマともなっている"ビジョナリー(visionary)"について触れ、ハイパーテキストを考案したテッド・ネルソンの「Xanadu(ザナドゥ)」を引き合いに出した。1960年にネルソンによって発表されたこの構想は実現に至ることはなかったが、現代のWebはXanaduのアイデアを下敷きにした部分も数多い。「実現には至らなかったが、絵にできるほど具体化されたビジョン(将来像)」と数十年前にハイパーテキストネットワークを考案した技術者の功績を賞賛する。
将来(vision)を見通す力と訳されることが多い"ビジョナリー"という言葉だが、及川氏はその元となっているビジョンについては「必ずしも自分自身で実現する必要はない」と言う。ビジョン/ビジョナリーはあくまで展望であり、技術者にとって重要なのはそれを自分なりのミッション(mission、使命)に落としこむこと。そしてさらにミッションを果たすために、短期間の目標(objective)を段階的に実現していくというプロセスが欠かせないという。
たとえばGoogleは3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の復興支援プロジェクトにいくつも関わっている。ここでのビジョンは「被災地の人々がふたたび笑顔で生活できるようになること」だ。これはGoogleだけの力では到底成し得ない。このビジョン実現のために技術者ができることは何か、というミッションを考えて生まれたのが「Hack for Japan」という活動だ。そしてそれをより具体化した活動として週に数回、ハッカソンを行うという目的を立て、着実に実行するという流れができている。ビジョンをミッションに落としこみ、ミッションの実現のためのオブジェクティブを迅速に実行するというサイクルがうまくいっている好例だろう。
ここで話は本題の"Webのビジョン"に移る。及川氏は10年前のWebについて言及し、「10年前のWebは動きがない、スタティック(静的)なものが中心で、情報の受発信が主な役割だった」と振り返る。動的な処理を行う場合はサーバサイドで実行されるのがほとんどで、フロントエンドで動くWebアプリケーションなどあり得なかった。それが大きく変わったのが2005年、ちょうどAjaxが登場したころだ。Webの世界はここからよりダイナミック(動的)な世界へと変わっていき、さらに2010年からHTML5やCSS3が標準になったことで、フロントエンドであるブラウザの表現力が著しく高まった。
及川氏はHTML5の話をするときCanvasをよく用いるという。「Canvasができるまでは、ブラウザ上で直線を引くことすらできなかった。線を引くという単純な作業ですらも、すべてサーバで処理をしてから実行結果をブラウザで表示するという手順を経なくてはならなかった」、つまりほんのすこし前までのWebブラウザは、単なる表示能力しか備えていなかったのだ。
このようにWebの世界の進化は著しく、及川氏のようなエキスパートをもってしても「未来を予測することは不可能」に近い。だが、現在のトレンドを分析すれば、ある程度の方向性は見えてくる。及川氏は現在のWebのトレンドは大きく「クラウド/ソーシャル/モバイル」の3つに分けられるという。
まずはクラウド。及川氏はクラウドの知識をもたない人に対しクラウドを説明するとき「いつでも、どこでも、どんなデバイスでもアクセスできる環境」という表現を使うという。たとえばGmailを想像すればわかりやすいだろう。「クラウドの本質は2つ。世界のどこかにあるデータセンター(雲)の中にあなたのデータがある。そのデータを動かすアプリケーションも雲にあり、必ずあなたのもとに届ける」(及川氏)