IBMがIMS/DCを発表したのもこのころです。
IMS(階層型データベース)にトランザクション環境を用意したのがIMS/DC(IMS/TM)です。IMS/DC上のアプリケーション開発はオンライン・プログラミングと呼ばれ、現在でもIBMロックインを支えている優秀なドル箱コンポーネントです。
The CODASYL Family
IBM以外の大企業は、バックマンをリーダー格にしたCODASYL委員会の中で、DB I/Fの標準化に取り組みます。CODASYLがThe Backman Familyのようになり、そこでは次世代アーキテクチャのネットワーク型モデル(List Processing Task Group)の標準化が、DBTG(Database Task Group)というサブ組織活動のもとで行われました。(図1参照)
言語の仕様統一を進め、突き詰めると、新DBアーキテクチャへと繋がるのは当然のことだったのでしょう。そしてリレーショナルに飛躍することなしに階層型の次世代を模索したのも、バックマンの実績からして、現実感のともなった挑戦だったのだと思います。しかし、その後の現実はリレーショナル勢隆盛の時代になり、SQLはCODASYLではなくANSIのもとで標準化されるようになります。それに、図からも解るように、キープレイヤーであるIBMは参加していませんので、本来は取り上げるべき歴史ではないのかもしれませんね。でも、せっかくなので「XeroxやPhilipsもデータベース・マシンを作ってたんだねぇ~」っと、トリビア。
GMのin-house RDBへのチャレンジ
GM(General Motors)研究所が1960年代後半に自前のリレーショナル型DBMSをミシガン大学と共同で開発していました。そして、そこにSQLの源流があります。当時はデータベースもさることながらCOBOL以外の高級言語の開発が模索された時代です。その中で本命とされたのがPL/Iです。GMはPL/IのDBインターフェースとして、SQLとコマンドが似ているAPL(Associative PL/I)を開発しました。そしてCODASYLグループは、それを参考にI/F仕様を作ったのです。
ちなみに、IBMもPL/Iに入れ込んでいました。そしてDBインターフェースのDL/Iとペアで次世代アプリケーション・アーキテクトを考えていました。だからIMS/DBは直ぐにはSQLには行けなかったのでしょう。
今回は堅苦しくて、このままだと息が詰まりそうなので、もう少しワクワクする話に脱線します。