教師になれなかったので仕方がなくSEに
しばちょう先生のブログでおなじみの、日本オラクル クラウド・テクノロジー事業統括 Database & Exadataプロダクトマネジメント本部データベーステクノロジー部 部長の柴田 長さん。将来の夢は数学の教師だった柴田さんは、理学部数学科に進む。大学生時代のアルバイトも家庭教師で人に教えるのは楽しかった。無事教員免許も取得したが、卒業時までに残念ながら教員採用には至らなかった。
仕方がなく選んだのがシステムエンジニア職だった。
「教師になるまでの腰掛けのつもりで、正直前向きなものではありませんでした。じつは就職のために引っ越しをする前日、非常勤講師の話が来たんですが、さすがにこのタイミングでは、就職先の企業に断りを入れられなくて。講師の話がもっと早くに来ていれば、データベースエンジニアにはなっていなかったかもしれません」(柴田さん)
就職先は社会インフラ系企業のIT子会社。ここでシステムエンジニアとしての生活が始まった。柴田さんのSEとしての最初の仕事は、Javaや.NETのプログラミング。プログラム経験がなかったので、会社に入ってからゼロから勉強をした。SEとして仕事を始めた後も、先生になりたい気持ちはあった。とはいえ、日々の業務の中では職を変えるタイミングを掴めなかった。
就職して2年目、ORACLE MASTERの資格を取得したこともありOracle Databaseの管理を任される。当時はとくにOracle Databaseに興味があったわけではなかった。「パフォーマンスチューニングの必要性も感じていませんでした」と柴田さん。
その後、新規の大規模システム構築のプロジェクトが社内で走り、そのシステムのOracle Databaseの管理も行っていた。そのシステムの稼働を迎えた日に、データベースサーバーがダウン。結果、システム稼働は延期になる。
「良かれと思って行った1つの設定が、本番稼働では裏目に出ました。それが原因でデータベースが動かなくなったのです。自分に十分にスキルがあれば防げた問題でした。管理者として、かなり責任を感じました」(柴田さん)
100人以上が関わるプロジェクトだった。動かなかったことでメンバーの辛い思いをひしひしと感じた。そしてこの時柴田さんは「もっともっとデータベースに詳しくなりたい。誰よりもデータベースを極めたい」と思ったのだ。そのためには日本オラクルに入りたいとも考えた。プロジェクトには日本オラクルの技術者も手伝いに来ていて、彼らがデータベースチューニングなどを軽やかにこなしていたからだ。このトラブルを契機に、柴田さんはOracle Databaseに大いに興味を持つようになったのだ。