「この若僧!はっきりしろ」
歯に衣着せぬ言動で相変わらず人気の高い田中眞紀子。外務大臣時代、数々の混乱を引き起こしただけに、お世辞にも宰相の器に相応しい人物とは言えないが、それでも、あの毒舌たっぷりの迫力は、民主党にとって大切な「兵器」であることは間違いない。
眞紀子だけではない。かつて、男性社会の象徴と言われた政界も、今では草食系男子が多く、逆に女性の奮闘ぶりが華々しい。
昨年11月の行政刷新会議による民主党の目玉「事業仕分け」で「仕分け人」を務めた参院議員の蓮舫に、次期自民党総裁選に出馬の意欲を示した前消費者行政担当大臣の野田聖子。これだけ女性がたくましくなると、男性陣も、うかうかしてはいられない。
だが、少数派の女性が目立ち、多数派の男性の影が薄いのは、今も昔も変わらないようだ。4月10日は「婦人の日」。1946年のこの日、衆院選が行われ、日本で初めて女性にも男性と同じように選挙権、被選挙権が認められ、39名の婦人議員が当選した。
答弁態度が悪い警視庁警ら部警備課長の富田朝彦に「この若僧!はっきりしろ」と衆院地方行政委員会で怒鳴った大石ヨシエ、いわゆる「沖縄国会」で、当時の首相の佐藤栄作相手に舌鋒鋭い質問、追及を展開した戸叶里子、さらに、外務大臣の園田直と「白亜の恋」で結婚した松谷天光光は、明るく親しみ易い雰囲気から「下町の太陽」と呼ばれた。
社会党から自民党に鞍替えした山口シヅエも、この選挙で議席を獲得。当時は終戦から半年余り。選挙カーも拡声器もない時代で、モンペ姿で闇市を回りながら声を枯らしたという。颯爽とデビューした婦人議員も、次の選挙では15名に激減。しかし、出産や育児、職場での男女の待遇格差の改善といった、女性ならではの目から、男性たちに立ち向かい、数々の成果を残した彼女たちの足跡は決して小さくない。