クラウドイヒ…いまそんなドイヒが注目され…えっ?
「その案件、ちょっとクラウド様にお願いしてみようよ」
これが、もうすっかりお馴染みになった21世紀の作法です。
このカジュアルさに、
「じゃあちょっと骨にきいてみようか(監察医の先生)」とか
「行き先なら風にきいてくれ(さすらいのガンマン)」とか
「そこはお天道様にきいてもらわないと(農家の方)」とか
そういったものを連想するのは私だけでしょうか。
「最近はなんでもクラウド化だっつってね、なんだかなあと思いますよ」
けれど、そう語るわたあめ屋のご主人の手元をみると、
そこにはなんの機械もなく、わたあめは中空からしゅるしゅると
実体化して、ひとりでにわりばしに巻きついてゆくのです。
(なるほど、これもクラウド……!)
記者は心の中で深くうなずきました。
そう、なんでもクラウド化すればいいってものではありません。
しかし勢いがついたら止まらないのが世の常で、
世界はどんどんクラウド化しています。
ついにはクラウド信仰というものまで誕生してしまいました。
浄土信仰のクラウド化です。
つまり成仏すると千のウィンド、いやウィンドウに
なるっていうか、天上界の千億のクラウドのノードの一つになって
Win-Win来世っていうか、
(なるほど、いや、よくわからない……!)
記者はよくわからないながらも「聞いていますよ」という
意味をこめて力強くうなずきました。
「心のきれいな人間だけがクラウドに乗ることができて、
どこまでも遠くへ飛んでゆけるのだ」
そんなことが真剣に信じられ、論じられるようになったのも
この頃で、きれいな心の持ち主であることを示すために
電車のなかで沢山の若者たちが席を譲り合うありさまは
ストレンジなフルーツバスケットの様相を呈し、
人類がんばれ! 人類がんばれ! 人類のために!
そんな声援を誰もが心の中で送ったのだといわれます。
(そうかもしれない……!)
これには記者も重々しくうなずきました。
そうしてまとめあげた記事は残念ながらボツになりましたが、
(そんな日もある……!)
記者はただ静かにうなずき、家路についたのでした。