バズワードをお忘れですか? あの晩のことをもうお忘れですか?
あなたの視界の端を、ある言葉がとおり過ぎてゆきます。
なにかの概念を表す言葉なのか、それとも商品名なのか、
個人の名前なのか、失われた古代都市なのか、はたまた
戦国武将の名前をもじった牛肉の調理法なのか、
あなたはとくに思い悩むこともなく、
その言葉が好意的に語られたり、批判的に言及されたり、
ちゃかすような調子で呼ばれたり、
狂気を気どりたい人に常軌を逸した調子で連呼されたり、
ほんとうに狂気に陥っている人にそっとささやかれたり
しているのを、見るとはなしに見、読むとはなしに読んで、
すぐに忘れてしまいます。
それは要するに、バズワードです。
バズワードって、一体なんなのでしょう。
どこまでがバズワードで、
どうなったらそれはバズワードではなくなるのでしょう。
そんなことをふと考えたりもするうちに、あなたは
それまで何度も意識の端をかすめて過ぎたあの言葉が
具体的になんと綴られているのか、
まったく思い出せないことに気付きます。
それが漢字なのか、カタカナなのか、ひらがななのか、
2ちゃんねるスレッドのまとめブログ記事で
その言葉が巨大なアスキーアートに仕立てられているのを
みた記憶さえ蘇りますが、さてそれが一体なんと
書かれていたのか、どんなに記憶をひっくり返しても
その形はおぼろに崩れて消えてしまうのです。
あなたは少し気をつけて、その言葉を探してみることにします。
そして予期していた通り、いざ探してみようとするとなかなか
例の言葉は姿をあらわしてくれません。
ぐぐってみようにも、最初の一文字さえ思い出せないその言葉。
あなたは待ち伏せることにします。
問題の言葉を探すことをやめ、ブログをひとつ立ち上げると、
各種ニュースサイトの最新トピックをひたすら記事として
書きうつしてゆく作業を始めたのです。
数日後、ブログのサイドバーの、記事の内容に対応した
関連キーワードのボックスにに、その言葉がひょいと姿を
あらわします。まさに目論見どおりです。
あなたはディスプレイに映し出されたその言葉を凝視します。
まばたきを止めて、じっと見入ります。
脂汗を流して、目からはすこし涙も流して、数十分のあいだ
光る画面を見詰め続けます。
読めない。
判読不能なキャプチャ認証の文字のように、
あなたはそれをまったく読むことができなかったのです。
それが、これまで幾度も網膜に映し出しては忘れてきた
あの言葉であることは確かでした。それには自信がありました。
にもかかわらず、それが何語でかかれているのかさえ
あなたにはわからないのです。
どこかの時点であなたはアルコールを大量に摂取しはじめ、
その後の記憶は判読不能な色と形の組み合わせになりました。
翌朝、あなたが頭痛をかかえて出社すると、オフィスには
中途採用の新入社員がいて、あなたに自己紹介します。
「 です」
あなたの耳に響いたその名前は、まさにあの言葉でした。
しかし、もちろんなんと言っているのかはわかりません。
そして、その顔は……顔は……
いろいろあって今年、あなたとあの彼/彼女との結婚生活は
十年目を迎えます。
名前を呼べなくとも、なんとかやっていけるものでした。
顔を認識できなくても、それはそれで心安らぐものでした。
悪くない人生なのではないかと、あなたは考えています。