家庭内別居状態?努力の甲斐ありORACLE MASTER Platinum合格
後にインフラチームでのシステム構築も経験する。それまでOracle Databaseに携わっていたものの、より本格的にOracle Databaseを究めるようになった。インフラチームのミッションはアプリチームがスムーズに開発作業ができるように基盤整備を行うこと。
アプリチームではほとんど経験することのない環境構築からバックアップ・リカバリの構築・テストなども経験した。インフラチームでの業務を通じてハードウェア、ネットワーク、OS、管理ツールなど幅広い知識が必要とされることを実感した。担当したシステムでは高可用性が求められていたのでクラスタリングの知識も必要となり、当初は難易度の高さに「自分には不可能ではないか」と内心ではひるんでいた。
しかしこれが松添さんの成功パターンなのかもしれない。新人の時と同じである。「無理」と感じてから奮起するのが松添さんだ。「データベース管理者で社内の第一人者になりたい」という一心で粘り強く知識をため、スキルを伸ばしていった。
30代からは資格取得にも取り組むようになった。それまでは目前の業務を中心に考えていたものの、実力の裏付け、そして何よりも顧客からの信頼を得るには技術者認定も必要だと考えるようになったからだ。
取り組んだのはORACLE MASTERのDBA。約1年でGoldまで取得した。最難関のPlatinumを前にして、またも松添さんは「絶対不可能」と決めつけていた。無理もない。知る人ぞ知るところだが、Platinumは2日間みっちりかけて行う実技試験である。
「早く操作できるようにするには実機での練習しかありません。私は不器用だから、人の何倍も努力しないと人並みにはなれないと常に考えています。平日だけではなく休日も会社でPlatinum取得のための特訓をしました。半年間は(結婚して間もなかったのに)家庭内別居のような状態でした」(松添さん)
猛烈に努力した甲斐もあり、2007年11月にはOracle MASTER DBAのPlatinumに合格。しかしこれはゴールではなく「より険しい茨の道を歩むきっかけとなった」と松添さんは言う。
松添さんは、Oracle Databaseについての先駆的な努力が総合的に評価され、社内で名誉ある「社長賞」を受賞した。慣例では関電システムソリューションズの「社長賞」はプロジェクト単位で贈られることが多いところ、個人の努力に対して贈られるのはきわめてまれだそうだ。
その後、社内のOracle技術習得について、研修講師も務めるようになる。テキスト作成から演習環境の構築まで松添さんが準備して実施している。