台風が迫るなか、徹夜でトラブル対応したことも
松添さんは工学部管理工学出身。工学部というと技術に専念するイメージがあるが、管理工学は生産工学、人間工学、経営工学など視野は幅広い。就職活動ではいわゆる「就職氷河期」の初期のころ。先輩たちは学校の推薦さえあれば就職先が見つかったのに、松添さんの年は違った。大変多くの会社を回って決まったのが現在の関電システムソリューションズ株式会社だったという。
最初は事務処理系の開発部門に配属されたため、メインフレームのCOBOLから学んだ。プログラミングに苦戦し「先輩に迷惑をかけてばかり。自分はプログラミングに向いていないのでは」と悩んだそうだ。
次はメインフレームからオープンシステムへの移行を伴う開発案件へと携わる。いわゆる「クラサバ」、クライアント・サーバー型のシステムだ。社会人2年目で技術も業務も分からないことだらけのなか、「知らない、分からないですませてしまうのは恥」と考えひそかに情報収集し必死でノウハウをためていた。当時はまだググって手軽に知りたいことにたどり着くほどインターネットは発達していなかった。先輩や書籍が頼りだった。
当時の松添さんは未熟な段階を早く脱しようと焦っていたようだ。社会人になりたてのころならどんな業務でも苦戦するもの。プログラミングへの苦手意識はきちょうめんさの裏返しかもしれない。常に責任感を抱き、自分に厳しい努力家である。
最初に出会ったデータベースはOracle Databaseで、VBやPro*Cなどを使用していた。20代を通じて開発から保守まで一通り経験した。鮮明な記憶として残るのは台風が迫る中のトラブル対応だそうだ。
ある日、出張先から戻るとトラブルの知らせを受ける。顧客との取り決めで、現場は翌日までに対応する必要に迫られていた。しかしその日は台風が直撃すると予想されており、会社は社員に早期退社を促していた。同僚たちが次々と会社を後にするなか、松添さんは覚悟を決めて会社に残った。「雨の中帰るのはイヤやからちょうどええねん」と開き直った。
トラブルは現場が確認のために行った手計算とシステムが出す計算結果が合わないというもの。システムがなぜ不正確な数値をはじき出してしまったのか、原因を探るためにプログラムをすみからすみまで確認した。最終的には「丸め誤差」、数値計算上の誤差によるものだと判明した。分かったころには窓の外は台風一過の晴天の朝を迎えていた。
家庭内別居状態?努力の甲斐ありORACLE MASTER Platinum合格
後にインフラチームでのシステム構築も経験する。それまでOracle Databaseに携わっていたものの、より本格的にOracle Databaseを究めるようになった。インフラチームのミッションはアプリチームがスムーズに開発作業ができるように基盤整備を行うこと。
アプリチームではほとんど経験することのない環境構築からバックアップ・リカバリの構築・テストなども経験した。インフラチームでの業務を通じてハードウェア、ネットワーク、OS、管理ツールなど幅広い知識が必要とされることを実感した。担当したシステムでは高可用性が求められていたのでクラスタリングの知識も必要となり、当初は難易度の高さに「自分には不可能ではないか」と内心ではひるんでいた。
しかしこれが松添さんの成功パターンなのかもしれない。新人の時と同じである。「無理」と感じてから奮起するのが松添さんだ。「データベース管理者で社内の第一人者になりたい」という一心で粘り強く知識をため、スキルを伸ばしていった。
30代からは資格取得にも取り組むようになった。それまでは目前の業務を中心に考えていたものの、実力の裏付け、そして何よりも顧客からの信頼を得るには技術者認定も必要だと考えるようになったからだ。
取り組んだのはORACLE MASTERのDBA。約1年でGoldまで取得した。最難関のPlatinumを前にして、またも松添さんは「絶対不可能」と決めつけていた。無理もない。知る人ぞ知るところだが、Platinumは2日間みっちりかけて行う実技試験である。
「早く操作できるようにするには実機での練習しかありません。私は不器用だから、人の何倍も努力しないと人並みにはなれないと常に考えています。平日だけではなく休日も会社でPlatinum取得のための特訓をしました。半年間は(結婚して間もなかったのに)家庭内別居のような状態でした」(松添さん)
猛烈に努力した甲斐もあり、2007年11月にはOracle MASTER DBAのPlatinumに合格。しかしこれはゴールではなく「より険しい茨の道を歩むきっかけとなった」と松添さんは言う。
松添さんは、Oracle Databaseについての先駆的な努力が総合的に評価され、社内で名誉ある「社長賞」を受賞した。慣例では関電システムソリューションズの「社長賞」はプロジェクト単位で贈られることが多いところ、個人の努力に対して贈られるのはきわめてまれだそうだ。
その後、社内のOracle技術習得について、研修講師も務めるようになる。テキスト作成から演習環境の構築まで松添さんが準備して実施している。
OracleからPostgreSQLのスペシャリストへ、後進育成も
関電システムソリューションズはいま厳しい経営環境の中にあり、これを乗り切るために「競争力強化とコストダウン」を掲げている。DBMSについてもコストの観点から今までの商用製品では厳しい。そのため、松添さんは「Oracleは成熟期である一方、PostgreSQLは導入期から成長期にさしかかったところ」と判断、PostgreSQLに目を付けた。現在のPostgreSQLの性能・機能は、商用製品と比較してほとんど遜色ないのでコストパフォーマンスが高い、また、エンジニア視点で見ると、PostgreSQLはOracle Databaseとアーキテクチャが似ていて理解しやすいという。Oracleの技術者にとってPostgreSQLはなじみやすいということだ。
松添さんはPostgreSQLへの本格的な取り組みを始めた。既にLPI-Japanが運営している「オープンソースデータベース(OSS-DB)技術者認定試験」も受験し、合格している。また、PostgreSQLをシステムに適用する際の手順等も整備した。今はPostgreSQLの案件獲得を目指してさらにノウハウを蓄積し、それを社外に発信することで自社のプレゼンス向上へとつなげようとしている。
6月7日には大阪で開催したPostgreSQLエンタープライズ・コンソーシアムセミナーに登壇した。テーマは「OSS-DB研究会」。関西でPostgreSQLを盛り上げようと、TIS社と関電システムソリューション社が共同で立ち上げた研究会である。前年度の取り組み内容を紹介し、そこで得られた知見を発表した。ユーザに特に関心の高いOracle DatabaseからPostgreSQLへの移行ツールについて、パラメータレベルまで具体的に紹介し、好評を博した。
現在ではよりエンタープライズシステムでの移行を促進していくため、継続的にPostgreSQLの研究・検証を進めている。移行費用から性能まで幅広くノウハウを蓄積しているところだ。松添さんは「富士山よりも西ではPostgreSQLといえば関電システムソリューションズと言われるようにしたい、そして、西日本でNo1のシステムインテグレーターを目指す」と話す。
これまでエンジニアとして自身のスキルを伸ばし、また自社の競争力強化に余念がない毎日を送っている松添さんだが、ほかにも考えていることがある。それは後進の育成である。
新人時代、松添さんは先輩から「どんくさいな」など厳しい口調で叱責されることも珍しくなかった。そこに愛情がこめられていたとしても、今は威圧的な指導では教育効果は薄いという考えが広まりつつある。近年スポーツの世界における動きがまさにそうだ。松添さんの年代は自分が教わったような方法ではなく、今の若手に合う効果的な教え方を模索しているところだ。
「お互いが気持ちよく協力し合えるように持っていくためのコミュニケーション能力を身につけていきたいです。仕事をするのは機械ではなく、人間ですから」
スパルタで心が折れそうになりつつも努力を続けてきた松添さんだからこそ、人間の弱さやそれを乗り越えるための強さも分かるのだろう
■■■ Profile ■■■
松添 隆康 MATSUZOE,Takayasu
1995年、関電情報システム株式会社(現在の関電システムソリューションズ株式会社の前身)へ入社。入社後、約10年間は事務処理系システム開発・維持運用業務に従事し、データベース管理業務に興味を抱く。その後、約3年間はデータベースを中心とした各プロジェクトの基盤整備業務に従事し、Oracle Databaseの社内第一人者となる。
現在、OracleDatabase、PostgreSQLのデータベース関連業務を中心に活動中。ガイドラインの作成、全社のプロジェクトチームへの技術支援、OracleDatabase社内研修の講師、社外講演などを行う。
日々たゆまぬ努力を忘れず、業界で一目を置かれる存在を目指している。週末は、二人の子供(4歳の娘と1歳の息子)の面倒をみる、イクメンとして活躍中。