マンションデベロッパーによる送客事例
テクノロジを使っているわけではない面白い発想で事業者としての収益向上を目指している事例を一つ紹介します。三井不動産レジデンシャルサービスによる事例です。
同社は、自社管理マンションの住民向けに、マンションから三井アウトレットパークへの無料送り迎えサービスを提供しています。案内は各世帯のポストへと直接チラシが投函され、受付はマンションの管理人が行っています。マンションも三井不動産ならば、アウトレットモールも三井不動産によるもので、グループ内送客を行っていることになります。私が話を聞いたマンションでは、50人程度の枠はすぐに満席になったとのことです。
どのマンションに住んでいるのかが分かればおおよその懐具合はわかるでしょう。また、仮に事業者がバス費用を負担するにせよ、昼を挟んで4,5時間の滞在となるように予定立てがなされれば、昼食も含めて一定の消費は見込まれます。
事業者と生活者のあいだに2本の糸を張る
三井不動産の事例は、いずれも顧客との非常に強力な結びつきを拠り所に、それ以外の領域にも商売を広げるやり方と言えます。住居、交通などは選択肢の少なさや変更コストの高さからなかなか変えることができません。一方、日々のお買い物先はその日の気分ひとつで変えられてしまう可能性があります。
事業者と生活者との関係を糸にたとえるならば、住宅・交通は「太めの糸」、小売サービスや生活消費財、食品などは「細い糸」に例えることができます。「細い」とは生活者の気分一つで、その糸を断ち切られてしまう可能性があることを意味します。逆に「断ち切り難い糸」は借金をしている時の金融機関との関係が象徴的です。
生活者との関係において細い糸しか持たない事業者は、あの手この手でその糸を細いながらも太くしようとする努力をしてきました。マス広告による良いイメージの植え付けや、立ち寄りやすい駅の近くに店舗を構える、と言った工夫は、糸を太くするための工夫です。しかし、細い糸はしょせん細く、一度の欠品や、競合商品のキャンペーン一つで、断ち切られてしまう可能性があります。
では、発想を転じて1本の糸を太くしようとするのではなく、事業者と生活者のあいだに2本の糸を張る、という発想に転じたらどうなるでしょうか。これを「2本の細い糸」仮説と呼びます。
実際に小売店が取り組んでいる事例で言えば、イオン銀行による住宅ローンはその好例です。イオン銀行で住宅ローンを契約すると、イオンでの買い物が5%引きになるというものです。これは金融と流通という2本の糸で関係が構築されていることを意味します。仮に近くのスーパーがすさまじい販促キャンペーンを実施したとき、一時的に利用するスーパーは変わるかもしれませんが、それにより住宅ローンを解約することはないでしょう。つまり流通の糸が切れても、金融の糸によって生活者との関係が維持されるのです。この糸を頼りに関係修復を図ることが考えられます。
もう一つ事例を紹介しましょう。本連載の第3回で、活動量計のデータを小売店の販売促進に用いる「データドリブンおべっか」の思考実験を紹介しました。これはもしも同一事業者がヘルスケアサービスと、流通サービスを提供しているのであれば、2本の糸でつながっていることになります。
この思考実験には「2本の細い糸」を考える上での重要なポイントがあります。それは、2本の細い糸は少し離れたところに張っておいたほうが良い、ということです。たとえば、活動量計データの活用という話になると、すぐにスポーツクラブとの連携がイメージされてしまいます。それはそれでクロスセル・アップセルの観点からは正しいかもしれませんが、生涯収益を向上させようとするときには必ずしも適切ではないのではないでしょうか。
なぜならば、似たような事業で張られた2本の細い糸は同じきっかけで、同時に切れてしまうからです。「頑張って運動していたけれどもちょっと頑張りすぎて足が筋肉痛になった」「仕事が立て込んでいる上に風邪気味だ」というきっかけができると活動量計の利用も、スポーツクラブの利用も同時に断絶してしまいます。
しかし、「小売店における運動量連動割引」であれば、ヘルスケアの糸は切れても購買の糸は切れません。「あんなに頑張っていたからトクホの商品が割引になっていたけれど、運動をサボっていると割引がなくなってしまいますよ」という働きかけをすれば、ヘルスケアの糸を再びつなげる可能性があります。
逆も同様です。運動は絶えず頑張っているけれどスーパーはよそを使うようになってしまった、すなわちヘルスケアの糸は保たれているが購買の糸が切れてしまったとしましょう。そのときには「いつも運動をがんばっていますね、また当店にお越しください。当店はその努力を讃えたいんです!」というメッセージによって購買の糸が再びつながる可能性があります。
これが「2本の細い糸」の考え方です。1本の糸を太くするのではなく、2本の糸を張って片方が断絶したときは、残った糸を頼りに関係を復活させるという考え方です。ポイントは「少し離れたところ」に糸を張るということです。これにより2本同時に断絶される危険が減少します。
このような発想はいままでもなかったわけではありません。古くはイギリスのスーパーであるテスコが、店舗で金融商品の販促を行っていました。これまでは、物理的接点である店舗が2本の糸をつなぐ横糸の役割を果たしてきました。直近、さらにこの発想実際のサービスに転用しやすくなった理由はテクノロジの発展とさまざまな事業に関するデータが得やすくなり、異なる事業を関連付けやすくなったことにあります。