生命情報学からITの世界へ
忍田氏の名刺には「博士(工学)」とある。専攻は情報工学。博士課程ではバイオインフォマティクス(生命情報学)を研究した。当時はゲノム解析技術が急成長し、例えば「人間の遺伝子がどのタイミングで活性化するか」などが注目されていたころ。忍田氏は実験結果からコンピュータでデータ分析を行い、人間の多種多様なタンパク質の関連性を探ることで病気との因果関係を見いだすなどを試みた。
タンパク質同士の関連性はネットワークのような姿をしているのだそうだ。WebサイトのリンクやSNSの友人関係のように。つながりは均一ではなく、どこか密度が高い部分あるところも共通している。SNSなら「インフルエンサー」のように中心的な役割を果たすところがあるということだ。忍田氏はこの中心部を数理的に求めるなどしていた。なお「こうしたヘテロな仕組みのほうが生命的に強いのです」と忍田氏は言う。
当時はバイオ関係の研究所が増加し、バイオテクノロジーバブルのような勢いがあった。しかし忍田氏が就職するころには多くの研究所が閉じ、勢いが衰えていた。まだ時期尚早だったのか。忍田氏にしてみれば、不幸にも専門を生かせる道が閉ざされたようなもの。そこで就職先はITビジネスに目を向け、いわゆるSIerへと就職した。
当初アサインされたのは航空会社のシステム。汎用(はんよう)機で稼働していたシステムをユーザーインターフェースはそのまま、オープン系へと作り替えるプロジェクトだった。忍田氏はオープンなRDBを用いてテーブル設計などを担当した。
ほかにはコマンドの構文解析プログラムを組むことも。システムのユーザーはGUIではなくCUI、つまりコマンドラインで操作をしていた。それを踏襲するため、ユーザーが入力するコマンドを解析する構文解析プログラムが必要になったというわけだ。
SIerなのでプロジェクトからプロジェクトを渡り歩き、ゆくゆくはプロジェクトマネージャーへと進むのが王道だ。しかし当時は自分が将来「SIerでプロマネをする」イメージがわかなかった。しっくりこなかったのだ。加えて「このままではドクターで学んだことがいかせない」という思いもあった。