DDI、DDIポケット、KDDIと20年以上に渡って通信業界の基幹系システム構築に携わってきた繁野氏。コンサルタントして独立した現在は、長年の経験をもとに企業の基幹系のシステム構築を支援する。今回のインタビューでは、日本企業の基幹系システムが抱える問題点と解決策について聞いた。聞き手は、産業技術大学院大学教授の南波幸雄氏。
DDI時代に感じた不満
――DDI、DDIポケット、KDDIと、通信キャリアで長年にわたり基幹系システム構築の指揮を取ってこられました。多くの企業が基幹系システムのさまざまな問題に頭を悩ませていますが、繁野さんが手がけられたシステムはそういったものとは無縁のようですね。
はい。DDIポケット(現:ウィルコム)のシステムは、構築して10年以上経っていますが、現在でも問題なく稼動しています。メンテナンス性が低下したという話も聞いていませんから、変化に対して柔軟なシステムを作るという当初の目的は、ある程度達成したと言っても良いと思います。ただし、最初に開発したDDIのシステムから上手くいったわけではありません。
――繁野さんが初めて指揮をとられたのはいつのことでしょうか?
DDIが開業する2年前の1985年に入社しました。サービスを開始するに当たって通信事業のビリングシステムが必要だということになり、当時、ベンダーのSEをやっていた私に声が掛かりました。
当時は、現在のようにシステム構築についてのポリシーがあったわけではありません。通信事業のシステム構築に関するノウハウも持っていませんでした。そもそも、民営化以前のことですから、日本にはNTTとKDDしか通信会社の経験がありません。まさかNTTに手伝ってもらうわけにもいかないので、そのシステムを手がけたベンダーさんにお願いしました。
――その時のどのような経験が、その後の成功に結びついたのでしょうか?
一番印象的だったのが、開発手法ですね。当時は、汎用機中心のウォーターフォール全盛期。私自身はベンダーで8年間ほどSEをやっていたのですが、手法は全く違っており、「すごいやり方だな」という強い違和感を覚えました。ただ、我々には力がありませんでしたので、ベンダーさんのやり方に従わざるを得ませんでした。
結果として出来上がったのは、「要件に対しては非常に忠実なんだけど、それ以上でも以下でもない」ピッタリのシステム。柔軟性がないと言い換えても良いでしょう。その時点では最適な設計なんですが、例えば将来的な料金体系の変更については全く考えられていない。そのために、色々な変化に対応するたびにソースコードが膨れ上がり、どんどん構造が悪化してしまうわけです。
――通信業界は複雑なサービス体系と変化のスピードが特徴ですよね。
そのとおりです。かつては独占状態で、料金体系にしてもひとつしか認可されない業界でしたから、そのようなシステムでも良かったのでしょう。しかし、当時進められていた通信の自由化によって、以後、新サービスが次々と生まれます。現在に至るまでの20年間は、変化をどのようにシステムに取り込んでいくかを考え続けた期間とも言えます。そうした変化の入り口にあって、硬直的なシステムは致命的だと感じていたわけです。