日本人は恥の文化教訓を共有するという勇気
― 収集した情報をもとにして的確な判断と決断を行うために、組織にとって必要なこととは何でしょうか。
もちろん、いくら情報を集めても、決断すべき人が決断しないと意味がありません。決断しない組織があると、組織は崩壊していきます。国家の場合には、内閣総理大臣の直轄組織として内閣官房があって、内閣官房長官の下に外務、経済、広報、安危(安全保障・危機管理)、内政、情報調査の6室があり、総理を支えている。各室の上に官房長官がいて、その下に官房副長官、さらに副長官補が各室を担当して内閣官房を構成しています。会社でこれをやっているのが本社機能と役員ということになる。
一人ですべてのことはできませんから、組織の危機管理をやるというのは、組織の本来の目的を最も効率的に達成し、阻害要因を排除するためにはどうしたらよいのか、ということを常に機能別に役員が担当していて、やっていないといけない。組織が壊れないようにするためには、常にそういった総合的な情報収集をすることが重要であり、また最終的な意思決定をする人のためにアドバイスを届けられないと総合判断ができない。組織が複雑になればなるほどその機能が万全でなくてはいけません。
― 軍隊は、有事や危機に備え、適切な対応を取り得る体制を平時から整えておくことが何よりも大切です。軍隊では、有事に備えてどのような訓練を実施しているのでしょうか。また、日本の組織の危機管理における問題点などあれば教えてください。
組織は、周りの環境によって日々変化しているわけですから、常に今ある状況に適応し、生存していくシステムを作り上げ、それを訓練していくことが重要です。最も大事な危機管理の訓練方法は、シミュレーションによる人材育成と実際的な訓練をすることです。
軍隊が組織として効率的なのは、こうしたシミュレーションを常にやっているからです。例えば、まず、CPX(Command PostExercise)という図上演習を行なう。その前にシナリオを書いて、シナリオに基づき図上で部隊を動かしていく。どこに欠陥があったかということを常に確かめながら、実際に図上でやったことを、今度は実際に実地で演習をやって、これを何度も繰り返していくわけです。
これで図上演習と実地演習で的確に判断できなかった人間を平時から交代させていきます。そんな指揮官は有事で使い物になりませんから、どんどん配置転換していきます。それが危機管理というものなのです。もちろん会社でも同じことが言えます。危機管理というのは、真に重要な人をそういう状況、想定の中で鍛えていくということがまず第一です。
もう一つ重要なことは、それでも実際に何か起きたときに、人は誤った決断をすることが多々あるということです。人間は常にミスを繰り返して生きています。人間が万能であるはずはない。ということは、過ちを自分の恥と思わないで、きちっと記録に留め、他の人に共有してもらうということをしなければ危機管理にならないわけです。例えば、アメリカでは戦史を記録に残し、戦争でどのように指揮官が間違ったかということを書きます。日本は、戦史の中で個々の個人的失敗を書かない。まだ生きている人や遺族・家族に失礼であり、名誉を傷つける、という発想だからです。依然として、日本人は恥の文化をもっているのです。
恥を忍んで人間の過ちを正確に文書に残す、そういう習慣を乗り越えていかないと危機管理になりません。A県で間違ったものを、B 県でまた間違うのではダメであり、A 県で間違ったものを他の県に共有する、という教訓がなければいけません。
日本の危機管理には、過去の教訓を活かせないという大きな欠陥があると言えます。教訓を共有するという勇気がなければ本当の意味での危機管理になりません。これは企業の場合も同じです。社内で誤ったことを皆黙って決して外に漏らさない。これでは危機管理は育たない。
日本のなかで危機管理というものがなかなか育たないのは、日本人というのは元々危機というものに備える概念がないからです。これは、農耕民族の体質かもしれません。
農耕民族というのは、常に生産のローテーションが決まっていて、突然危機が起きるということをあまり考えないで、種を蒔いたら必ず稲ができて、稲ができたら、稲を刈ってまた田植えをしたらいい、という考えで、陸続きで、突然何者かが攻めてきて稲が持っていかれる、仲間が殺されるだとか、そういうことを考えたことがない。島国の特殊な環境の中の人種だから、あまり危機管理に備えていない。