全社のITコスト構造と管理体系を高度化し、テクノロジー投資を経営の成果へつなげるための方法論として日本でもエンタープライズでの導入が広がっている「TBM(Technology Business Management)」。しかし、それはあくまでも手段であり、ITコストを可視化したからといって組織の行動変容が起こるわけではない。2026年7月17日に開催された「TBM Summit 26」に、エイチ・ツー・オー リテイリングの熊坂祐二氏が登壇した。コスト構造の可視化からTBM実践の旅路へと踏み出した同社だが、それを行動変容につなげることの難しさを実感したという。この壁をどう乗り越えていくのだろうか。
259億円分の総ITコストを可視化、しかし行動変容は起こらなかった……
関西圏を中心に百貨店やスーパーマーケットを展開するエイチ・ツー・オー リテイリング(以下、H2Oリテイリング)。阪急阪神百貨店を中核に、グループ会社は約40社、売上高は約1兆円、従業員は約2万4000人を数える。
冒頭、熊坂氏は聴衆に問いかけた。過去1ヵ月のうちに、経営判断に使うためにITコストのダッシュボードを見た者はいるか──数百名が耳を傾ける会場で、手を挙げた人数は10人にも満たなかった。それを見て、熊坂氏は「弊社の実態もほぼ同じだった」と答え、本題に入る。
同氏は、H2Oリテイリングに入社する以前は約20年間にわたりコンサルタントとして活動していた。様々な企業に赴いては中期経営計画を作りましょうと提案し、顧客企業のコストの実態を明らかにすべく、各社バラバラな様式で作成してくるExcelのコスト集計表と格闘する日々を送っていたと当時を振り返る。
エイチ・ツー・オー リテイリング株式会社 IT・デジタル推進グループ ITマネジメント室 ガバナンス推進部長
熊坂祐二氏
そんなある日、Apptioという製品が日本に上陸するという話を聞きつけ、その背景にあるTBMの思想を知ったという。「こんな素晴らしい方法があるのかと感銘を受け、すぐにTBMのコミュニティ(TBM Council Japan)に参加したいと考えた」と熊坂氏。当時、日本のTBMコミュニティは招待制で参加が難しかったのだが、何度も希望を伝えてついに参加を許されたのだと語る。
TBMの理論を学び理解した熊坂氏は、これを事業会社で実践したいと思い立ち、H2Oリテイリングへの転身に至った。同社に入ってまず、熊坂氏らはTBMの実装ロードマップを策定。Apptioのソリューションを軸に、まずはTBMの基盤を構築(フェーズ1)、次にITコストのデータ整備・可視化に挑んだ(フェーズ2)。現在は、フェーズ3にあたる社内での「対話」に取り組んでいるところだという。このフェーズ3からなかなか抜け出せないのが現状だと熊坂氏は明かした。
データの整備には多大な労力を費やしたとのことだが、その成果として、3ヵ年で約259億円ものITコストを可視化し、可視化率100%を達成した。可視化したデータはTBMタクソノミー(※)に則って精緻に適用し、グループ内の事業会社・部門ごとのTCO(総所有コスト)を明確化。さらには経営陣向けのダッシュボードも構築し、財務部門と四半期ごとにコストをレビューする仕組みも整えている。まだ道半ばではあるものの、既に十分な導入の手応えを感じているという。
※TBMタクソノミー:テクノロジーコストの構造をビジネス視点で分かりやすく整理・分類するためのフレームワーク。IT部門と経営・事業部門の間での理解のズレを解消するための共通言語として活用できる。
ただし、データはすべて可視化されたものの、それだけでは期待していた“行動変容”は起こらなかったと熊坂氏。全部門のITコストの実態を明らかにしたにもかかわらず、各現場部門は自分たちの部門の数字を一切見に来なかった。社内で決裁を上げる際のテンプレートも、旧来のまま変わらなかった。利用ログを実測してみると、閲覧数は月にたったの4~5回、利用者数はいつしか数名程度にまで減っていた……。誰もが参照できる数字がそこにあるのに、現場の意思決定や投資判断には何も変化が起こらない。この現実を目の当たりにし、熊坂氏は「データを揃えることがゴールではない」という重要な視点を再認識することとなる。
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森 英信(モリ ヒデノブ)
就職情報誌やMac雑誌の編集業務、モバイルコンテンツ制作会社勤務を経て、2005年に編集プロダクション業務とWebシステム開発事業を展開する会社・アンジーを創業した。編集プロダクション業務では、日本語と英語でのテック関連事例や海外スタートアップのインタビュー、イベントレポートなどの企画・取材・執筆・...
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