経営層から問われる「AIの投資効果」 ROIを高める鍵は「データ/インフラ/モデル」の“3つの主権”
AI本番運用を阻む「データの分断」を越え、未来の競争力を生む「AI主権」とは
生成AIの活用は、ドキュメント要約などのPoCから、業務を自律的に実行するための「AIエージェント」、現場で稼働する「フィジカルAI」へと広がりつつある。しかし、本番運用に踏み出した企業の多くがオンプレミス、クラウド、エッジにまたがる「データの分断」という課題に直面している。クラウドへの一極集中型のアーキテクチャでは、通信コストや遅延、セキュリティの制約から、現場からのリアルタイム処理という要求に応えきれない。こうした背景から、データがある場所で処理する「分散回帰」の潮流が強まっている。
業務自動化とフィジカルAIが突きつける、データ一極集中の限界
現在の日本市場では、大手企業を中心にAIへの投資が引き続き旺盛だ。今後も、さらなる拡大が期待される。しかし、初期のPoCで「クラウド環境で簡単に実験してうまくいった」と満足していたフェーズは終わりつつあるようだ。
AIを現場に落とし込もうとすると、業務システムごとにデータフォーマットが異なっていたり、アクセス権限のルールやガバナンスが整理されていなかったりと、インフラが整っていないために立ち止まってしまうケースも珍しくない。その結果、投資は進んでも成果が十分に可視化されない状況が生まれている。多くの経営層は、「投資に見合った効果が出ているのか」という問いを現場に投げかけるが、自信をもってAIによる成果を証明できる企業は少ない。
こうした、ROIの議論を大きく変える可能性を秘めているのが「AIエージェント」だ。AIエージェントは個別業務の自動化にとどまらず、人手を介さずに複数のシステムを横断して自律的に動く。これにより業務プロセスそのものを変革し、業務効率やコスト構造に大きなインパクトを与える。しかし、自律的に動くということは、企業内に分散する多様なデータへ安全かつリアルタイムにアクセスできなければならない。企業システムは過去の経緯から分散して構築されているものが多く、それらで個別管理されているデータを無理に1ヵ所へと集約することは、移動コストや同期の遅延、何より現場のリアルタイム性を損なう原因となる。
特に、製造業における設計、開発、製造プロセスの短縮や、ロボット、センサー、ドローンといった「フィジカルAI」の領域では、この問題が顕著になる。労働人口が減少する日本社会において、熟練技術者の暗黙知をAI化することは最重要テーマの一つだ。そのナレッジや判断能力は、現場で刻々と変化する機器やセンサーから発生するデータを踏まえて培われている。その判断をAIで再現するためには、現場で時々刻々と発生するデータに対し、リアルタイムに推論・判断を下さなければならない。
つまり、データをすべてクラウドに上げるのではなく、機器などのエッジ側で処理することが前提となる。また、セキュリティやレイテンシーも考慮すれば、エッジやローカル、あるいは特定の目的に特化した、「ソブリンAI」や「プライベートAI」を組み合わせるようなハイブリッド環境の構築が不可避の要件となりつつある。
AI投資のROIを最大化する鍵 「3つの主権」という新たな概念
このようにAIの稼働環境が多様化する中、企業にはベンダーやパブリッククラウドの都合に左右されず、自社の意思でインフラやモデルを制御することが求められている。Clouderaで社長執行役員を務める山賀裕二氏は、これからのAI運用において企業が備えるべき権利として「データ主権」「インフラ主権」「モデル主権」の3つを挙げる。これらを総称した「AI主権」の確立こそが、持続的かつ責任あるAIの運用を実現する上で中核となり、AI投資のROIを安定して高めるための土台となる。
では、これら3つの権利は具体的にどのようなものか。第一の「データ主権」とは、自社のデータがどこで発生し、どのように加工され、今どこにあるのかを企業自身が正確に把握し、説明責任を果たせる状態にすることである。AIが出力する結果の品質は、入力されるデータの質に依存する。「データがどこで発生し、どこから入力され、どういう加工を経て、今どのような状態にあるのかを把握する。この説明責任は間違いなく企業に問われる」と山賀氏。データの発生源から利用にいたるまでの流れを自社でコントロールすることは、ガバナンスとセキュリティを守るための大前提となる。
第二の「インフラ主権」は、オンプレミス、クラウド、エッジなどの中から、自社のビジネス要件やコスト、データ主権などの観点に応じて、最適な環境を自らの意思で選択・コントロールできる権利を指す。特定のパブリッククラウドベンダーにすべてのデータとコンピューティングリソースを預け、そのロードマップに自社のシステム運用が左右されるような状況は、長期的な経営リスクになり得る。山賀氏は、「企業が自分の意思で、個社ごとの事情に応じて判断・コントロールできる状態にあることが最も大事」であるとし、こうした選択の自由度こそがインフラ主権の本質だと説明した。
第三の「モデル主権」は、利用する大規模言語モデル(LLM)をはじめとする、AIモデルを自社でコントロールする権利である。昨今、特定用途に特化した小型のオープンソースLLMを自社環境で運用するアプローチも注目されている。クラウドベンダー各社も多様なモデルの選択肢を提供しているが、単に“選べること”と、自社でモデルを選定し、運用も含めて主体的にコントロールできることは本質的に異なる。
自律的なコントロールの重要性は、外部の汎用APIサービスに全面的に依存した場合に生じるリスクを見れば明らかだ。プロバイダー側のバージョンアップによってプロンプトの挙動が変化したり、ファインチューニング機能が停止されたりといった仕様変更の影響を直接受けるリスクがある。コア業務の安定性を重視するのであれば、モデルのバージョンを固定し、自社環境で安定運用したいというニーズは自然に生まれるだろう。こうした観点からも、モデルの選択と制御の主導権をベンダー側に委ねることには慎重であるべきだ。
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谷川 耕一(タニカワ コウイチ)
EnterpriseZine/DB Online チーフキュレーターかつてAI、エキスパートシステムが流行っていたころに、開発エンジニアとしてIT業界に。その後UNIXの専門雑誌の編集者を経て、外資系ソフトウェアベンダーの製品マーケティング、広告、広報などの業務を経験。現在はフリーランスのITジャーナリスト...
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