五月の病、そのやまいだれの曲線美など
「一度でも五月病にかかったことのある人は、
その後数十年以内に必ず死亡する」という
統計データが存在します。
この統計をもって五月病を死に至る病と見なすのは
早計に過ぎますが、五月病という病が確かに
現実に存在する脅威であることを
証明したい人々(その多くは五月になると
不思議な停滞状態に陥ることで知られています)は、
このデータを持ち出すことが多いようです。
しかし、なかなか理解してはもらえないのが
浮世のつらさ。
五月の病を長くわずらう
四月の魚が自転車に乗り、
三月の水を逆さにのぼって
二月の扉を叩くとき、
アンゴルモアの大王が
「もっと演奏してください」という願いを込めて
一定のリズムで両手を叩けば、それがいつしか
すべての観客に伝染し、アンド騒音、何度もゴーオン、
コンサートホールを割らんばかりの拍手の響きが
コンサートホールを割り、その割れ目の形で
未来や近過去を予測することができるようになるだろうと
言われています。
「五月の病って、けっきょくは仮病なんじゃないの?」
そんな美しくないことを言うなんて、
きみのママはきっと牡蠣の不味い月に生まれたに違いない。
この有名な発言の主が例の病に冒されていたのかどうかを
歴史はわたしたちに教えてくれませんが、
あの革命の年の五月、あの広場を覆っていた巨大な
メランコリーの正体がなんなのかは言うまでもないと
かの病のビリーバーたちは口をそろえるのです。
迷信深いビルの施主が四階を失うように
奇妙な形で五月を失ってしまう人々。
年ごとに訪れる欠落の季節のなかで
彼らは不思議と歳をとりません。
この病が完治することがあるならば、その瞬間に、
失われていた全ての五月が、あらゆる緑を重ね合わせた
濃緑の津波となって戻ってくるのだと信じている者もいます。
完治の瞬間に全身が真緑色になって死ぬのだと
信じている者も、ごくわずかですが存在します。
そして毎年、雨の季節が訪れれば
すべてはすみやかに常態に復し、彼らは何事もなかった顔で
職場や教室へ戻ってゆくのです。
「もしかすると我々は梅雨が好きなだけなのかも知れない」
ある人物はそう語りましたが、
これもまた未だ検証されざる仮説です。