「保守新党」結成を目論んだ松下幸之助
「政治塾」の元祖は、1957年に開校した「自民党中央政治大学院」であろう。初代学院長は民主党幹事長の小沢一郎の父で元建設大臣の佐重喜が務め、全国から集まった41名の1期生は、3ヵ月間、政治学や経済学の研修を受け、その後、自民党の地方組織の手足となり、東京郊外に自前の校舎を建設するという話が出るほど盛り上がった。
一時、閉校したが、2000年に再開校。2003年にはインターネット上で受講できる「自民党未来塾」を設置した。「政治塾」と言えば、やはり小沢が主宰する「小沢一郎政治塾」の存在を無視するわけにはいかない。
もともとは、旧自由党の人材育成事業の一環として実施されてきたが、民主党との合併以降は小沢の私塾として存続。徹底的に小沢の政治理念、政治哲学を叩き込まれるという。塾生は約30名。研修は2年で、毎年夏と冬に合宿を実施し、年4回のレポート提出もある。
既に衆院議員8名、参院議員2名を誕生させており、永田町では「小沢親衛隊」養成機関と見られている。そんな「小沢一郎政治塾」がライバル視しているのがパナソニックの創業者である松下幸之助が私財70億円を投じて1979年に設立した「松下政経塾」である。
神奈川県茅ヶ崎市にある約6,000坪の敷地には、講堂や体育館、食堂、さらに茶室やテニスコートまである。全寮制で3年間。しかも月額20万円前後の研修資金に加え、年額100万円程度の活動資金が支給されるため、今でも裸一貫から政治家を志す若者が多数押し寄せている。
卒塾生の大半は政治家で、鳩山内閣では、総務大臣の原口一博(4期生)と国土交通大臣の前原誠司(8期生)、さらに神奈川県知事の松沢成文(3期生)や宮城県知事の村井嘉浩(13期生)といった首長も輩出している。かつて松下は、この「松下政経塾」を基盤に「保守新党」結成を強く望んでいたというが、仮に今、松下イズムを受けた弟子たちの手によって「保守新党」が旗揚げされれば、政界再編の大きな起爆剤になるかもしれない。