
社内に戻ると、言葉が通じなくなっていた
コミュニティで確信を得て、社内に戻った。すると、別の現実が待っていた。
まず、言葉が通じなかった。コミュニティでは「心理的安全性」「マインドセット」と言えば一瞬で通じる。しかし社内では「それ、何のこと?」から始まる。説明するために資料を作り、各部署を回った。一から背景を説明し、なぜこれが必要なのかを伝える。しかし返ってくるのは、怪訝な顔だった。「情シスの人が何を言い出したんだ」。そんな空気が伝わってきた。コミュニティでは数秒で共有できたことに、何週間もかけて、それでも伝わらない。
これが「2つ目の葛藤」だ。外で見えた景色と社内の現実との乖離。自分の危機感と組織の危機感との落差。社外で視野が広がった分だけ、ギャップが大きく見える。正直に言って、1回目よりきつかった。社内DX大学の構想は、まだ形になっていなかった。
越境学習の定義を思い出してほしい。ホームとアウェイの「往還」——つまり、アウェイで得たものをホームに持ち帰ることこそが、変革の核心でもあり、最大の難所でもある。
「なぜ伝わらないのか」。その焦りと孤独感に、私自身も何度も押しつぶされそうになった。同じように消耗していくDX推進者を、何人も見てきた。
2つ目の葛藤を乗り越えられたのは、社外のDX学習コミュニティが継続的に存在していたからだ。
参加者はみな、DXという同じ課題を抱えている。しかし業種も立場も異なる。だからこそ、社内では得られない視点が手に入る。あの夜の対話は一度きりの衝撃だった。しかしコミュニティは違う。何度でも戻れる場所として、そこにあり続けた。
社内で資料を作って回っても反応がなかった日、コミュニティに戻ると「それ、うちでもやってみたい」と手を挙げる人がいた。社内では空回りしていたアイデアが、ここでは次の実践につながる。その繰り返しが、翌日また社内で動く力になった。
越境学習の本当の効果は、知識の習得だけではない。DX推進者は本質的に孤立しやすい。変革を担う以上、現状との摩擦は避けられず、一人で抱え込むには限界がある。だからこそ「孤独ではない」と知ること自体が、長期にわたって動き続ける原動力になる。
社外コミュニティは、単なる勉強会ではない。孤立しがちなDX推進者にとってのサードプレイスだ。社内で壁にぶつかるたび、戻って充電できる。そうした場の存在が、2つ目の葛藤を越える支えになった。
その支えがあったからこそ、私は社内で動き続けることができた。現場の人間がノーコードツールで自分たちのほしい仕組みを作れるよう、支援する取り組みを始めた。スキルとマインドセットをセットで育てる。その実践が、やがて社内DX大学の立ち上げへとつながっていく——前回紹介した、あの取り組みだ。
越境学習がなければ、社内DX大学は生まれていなかったと思う。
そして今、同じ構図が繰り返されている。
生成AIでも同じことが起きている。AI推進部門がツールを配布し「活用してください」と通達する。しかし使いこなしているのは一部の人間だけだ。ツールの名前が変わっただけで、「使われない構造」は同じだ。導入する側と使う側の断絶。「自分たちで試していい」という空気のなさ。失敗を恐れる文化。私が得た教訓は、そのまま生成AI時代にも当てはまる。
そしてもう一つ、越境学習の価値も変わらない。生成AIの活用は、マニュアルを読むだけでは身につかない。他の現場で「こんなふうに使っている」という実例に触れて初めて、自分の業務への応用が見えてくる。
社外コミュニティで「うちではAIをこう業務に組み込んでいる」「この使い方は試したが失敗だった」という対話が、個人のAI活用を一気に加速させる。あの夜の対話と構造は、まったく同じだ。
振り返れば、社外に出ていなければ社内DX大学は生まれていなかった。あの夜の対話がなければ、私は今もツール導入を繰り返していたかもしれない。
社内で白い目を向けられながら資料を作って回っていた頃、何度も心が折れかけた。それでも動き続けられたのは、社外に「言葉が通じる場所」があったからだ。社内で「マインドセット」と言って怪訝な顔をされた同じ日に、コミュニティで「うちもそうだよ」と笑ってもらえる。その落差が、逆に救いになった。
あなたの組織に、そうした対話の場はあるだろうか。
もしまだないなら、まずは外に出てみてほしい。今は、社外のDXコミュニティに参加するハードルはかつてないほど低くなっている。
たとえば「情シスSlack」は、13,000人以上の情報システム部門担当者が参加するオンラインコミュニティだ。業種も規模も異なる情シス同士が、日々の悩みやナレッジを共有している。「こんな初歩的なことを聞いていいのか」という心配は不要だ。みんな同じ壁にぶつかってきた人たちだから。
行政領域であれば、デジタル庁が運営する「デジタル改革共創プラットフォーム」がある。地方公共団体と政府機関の職員であれば誰でも参加でき、自治体DXの実践知が日々共有されている。
いずれも、参加するだけなら数分で済む。大事なのは、最初の一歩を踏み出すことだ。社内では言えなかった本音を、社外で話してみる。言葉が通じる相手がいると知るだけで、景色は変わる。私がそうだったように。
この記事は参考になりましたか?
- EnterpriseZine Press連載記事一覧
-
- なぜAI活用は「ツールの配布」で終わるのか?ノーコード時代と同じ失敗を越える「越境学習」3...
- 「SaaS is Dead」へのBoxの回答──Box Agentが示すインテリジェントコ...
- なぜキャデラックF1はコーヒーマシンより先にERPを購入したのか IFSで構築したデジタル...
- この記事の著者
-
熊本 耕作(クマモトコウサク)
公益財団法人九州先端科学技術研究所(ISIT)特別研究員。現場から経営戦略、組織開発、AI活用まで——部門と領域を越えて全体をデザインする"越境型DXアーキテクト"。
20年にわたり、現場に深く入り込みつつ全社を俯瞰して構造を再設計。製造・調達・物流のDXからAIによる人員配置最適化、生成AIの全社展...※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です
この記事は参考になりましたか?
この記事をシェア
