エジプト騒乱とソーシャル正義論への疑念
今年1月25日にエジプトの騒乱が発生してから、およそ1ヶ月強が経とうとしている。Facebookのファンページ「We are all Khaled Said」が民衆による反政府デモ発端の一つとして象徴的に扱われ、その後の展開も含めて「ソーシャル革命」との呼び方が多くされている。
一連の流れをメディアやそれこそソーシャル上で追っていると、ある違和感が自分の中で育ち始めた。「正義と民主主義を支えるのに、ソーシャルは大事であり支援しなければならない」、「ソーシャルは正義のためのツールである。転じてソーシャルは正義であり、正しき道具である」という価値観が一部で育っている流れに対しての違和感である。
インターネット的価値観とでも言えばいいものか、オープンで透明で民主的な情報流通の仕組みを作れば世の中良くなるというネットの思想が伝統的にある。また、「インターネットは中立的な仕組みであり、中に流れる情報は規制されるべきではない。ダム端末・ダムネットワークであることがいいのだ」というネットワークの技術面にも関して議論されることも多い。
そういう意味では、「ソーシャル正義論」とでも言うべき一連の流れは、以前から変わらないネットの伝統パターンが再現しただけとも言える。コミュニケーションツールが新しくなる度に様相を変えて「ネチケット」の議論が白熱するのと同じく、季節行事的なものと理解するのが早いかもしれない。
エジプト騒乱におけるソーシャルの位置づけ
散々メディアでも報道されている点であるが、エジプトでの構図を簡単に整理しておこう。ソーシャルが民主化活動の道具となったのは、ごく単純に身近で使いやすい道具として最適だったからということにまずは尽きるだろう。地下出版やビラに代わって、デジタルツールが使われるようになったのは端的に世の変化を示している。
ビラやローカルなコミュニケーションツールと異なった点は、TwitterやFacebookは全世界共通のプラットフォームとなっていることから、少なくとも「つぶやき」レベルで言えば当人たちと同じ情報をリアルタイムで見て、かつその気になればその場で当人たちとやりとりができたことにある。
アカウント封鎖や規制といった政府の対応が、分かりやすい「横暴な政府」との図式が重ねられる。デモに参加する人たちがどういう人なのか背景までは良く分からなくとも、具体的な個人の「つぶやき」が見えなくなったりしたことで、「海の向こうの正義を助けるんだ!」という気分がソーシャルが流通するのを後押ししていた。
その昔、湾岸戦争のテレビ中継を観ながらミサイルが建物に突っ込んでいく様子を、「まるでテレビゲームみたいだ」との反応が世に溢れていたことを思い出す。また、同時期に起きたベルリンの壁崩壊と東欧革命への流れも、テレビというメディアが一役買っていたと一般的に理解されている。つまり、メディアの形とあり方が社会のあり方と根深いところで絡み合っているというのは、少なくとも体感レベルでは一般的にも良く理解されているところだろう。
140文字の「つぶやき」が、Facebokのページやウォールでコメントが飛び交う様子は、まさに気分としては民主化活動の分かりやすいリアリティを提示するものだろう。お茶の間に居ながらにして、あるいは街中でiPhoneを触りながら海の向こうの革命に寄り添う気分を味わえる。箱庭のごときアナログテレビで描かれた戦争は、一周して指先でつぶやかれる革命へと至ったことになる。
指先から伝わる読み方も分からない現地語での「つぶやき」が現地語に混ぜられる英語でのメッセージは、「ぼくたちの民主主義と正義」という読み方に転じていくのである。(次ページへ続く)