アシスト 執行役員 サービス事業部長 星博氏。同氏が入社した年はアシストが事業拡大を見込み、新人を大量採用した年だった。「まだ社員が220名ほどなのに、新人を69名も採用したのです」と述懐する。社内で4人に1人は新人ということになる。さぞや若さあふれるオフィスだったことだろう。
当時のアシストはメインフレーム向けのパッケージソフトウェアを中心にビジネスをしていた。オープン化の動きもあり「今後どのデータベースでビジネスするか」と検討したとき、候補にはIngres、Oracle Database、Infomix、Sybaseがあった。これらが「時代の4大データベース」だった。
オラクルの日本進出を影ながらに支えたアシスト
アシストがデータベース市場調査のためにアメリカを訪問した時、狙いを定めていたのがIngres。PostgreSQLの祖先にあたる。しかしソフトウェアメーカーが集中するシリコンバレーで調査しているうちに「念のため、競合も調査しておこう。オラクルが近所にあるし(サンフランシスコ周辺なので近所といえば近所)」となり、オラクルも訪問した。オラクルはちょうど日本市場への進出を考えていたので、アシストに好条件を提示したという。※このIngresについても後々アシストグループ内で一時期取り扱うことになった。
結果的にアシストはオラクルの日本総代理店になることを決断した。その都合で、アシストの中にグループ企業として「株式会社オラクル」を立ち上げた。現在の「日本オラクル株式会社」とは異なる法人で、実質的には前身にあたり、これが「オラクルのアシスト」といわれるゆえんである。
当時の星氏は新人で管理部に配属されていた。総務や経理などを兼任する部署だ。星氏の上司は「来週から外国人が来て新しい会社を作るから」と告げ、星氏は法務局に行くなど新しいグループ会社の登記手続きに携わった。それゆえに「日本でオラクルを立ち上げた男」というわけだ。半分笑い話で、半分本当の話。2年後、星氏はアシストから株式会社オラクルへ技術担当者として移籍する。管理部とはいえ社内システム構築に携わるなど、ある程度エンジニアとしての経験を積んでいたためだ。
株式会社オラクルの社長はアシストの当時社長だったビル・トッテン氏が兼務した。星氏の上司が言っていた「外国人」というのはアメリカのオラクルに就職して間もなかったアレン・マイナー氏。後に日本オラクル初代社長となる人物だ。マイナー氏と何人かはアシストのオフィス内に間借りするような形でオラクルのビジネスを始めた。なおマイナー氏はアメリカのオラクルに所属しているため株式会社オラクルの社員ではなく、ビジネスパートナーという形だったという。また、サポートの面でもアメリカの開発部隊との窓口となり支援をしてくれたそうだ。
ただの代理店と異なり、日本総代理店となると日本法人に近い存在だ。当時のアシストはオラクルの日本語環境への移植、フロント部分の日本語化、日本語(ダブルバイトのデータ)のハンドリング、マニュアルの日本語化などを行った。
少しして正式な日本法人となる日本オラクル株式会社が活動開始すると、アシストは総代理店から代理店となり、株式会社オラクルは閉じることになる。以降のアシストをサポートビジネス中心に見ていこう。