データベースを究めるならデータベースベンダーに
SAP新久保浩二さんは現在SAPジャパンにてデジタル・エンタープライズ・プラットフォーム部に所属し、主にプリセールスとして働いている。前職はインサイトテクノロジーのコンサルタントで、コミュニティ活動にも積極的に関わっていた。本コーナーでもすでに取り上げている。
【5年前の新久保さん】クールなOracle ACEの熱い鼓動を聴け―新久保浩二さん
オラクルのイメージが強かった新久保さんがSAPジャパンだなんて、青天の霹靂だ。当時の写真と現在の写真を見比べても、少年のような雰囲気からいっきに大人になってしまった印象を受ける。「一体何が起きたのか?」と質問すると、新久保さんは「忘れちゃいました」とぺろっと笑う。
「データベースが好きでした。でもデータベースのベンダーにいたことはない。ベンダー外から調査や評価をするのは楽しかった。楽といえば楽。でもそれでいいのかと気にしていました」(新久保さん)
データベースをより深く究めるならデータベースベンダーに入り、内側から開発の過程も含めて自分の目で見たかったのだろう。それが転職につながった。とはいえ、新久保さんはOracle ACEでもあり、日本オラクルというデータベースベンダーに近いところにいたはず。なぜ日本オラクルではなくSAPジャパンだったのかと聞くと、「一番謎に満ちたところだから」とさらっと言う。
未開拓だからこそ選んだ。なんという冒険心だろう。転職する前は「知っている人もいない。製品(SAP HANA)も分からない。全くインデックスがない。どうやって生きていけるか分からない」と思うほどだったという。
前記事にあるように、もともと転職の意向があり、タイミングをうかがっていたところがある。転職先をいろいろと検討した結果、最終的にはSAPジャパンに決めた。決断を後押ししたのが年齢だ。40歳を目前にしていたため、転職しようという気になったそうだ。
前職のインサイトテクノロジーを出て、未練や後悔がないことは話す様子から十分伝わってくる。念のため聞いてみると、やはり「全くなかったです」。同社を卒業して活躍している人を多く見ているため「その方が健全」と思えるのだという。
「自分の中心で活躍できて、表現方法が合っていればいいのでは」と新久保さんは言う。開発者なら開発することが自分の中心であり、自分が納得できるものを開発できることが大事ということ。同様に営業なら自分の売り方や売るものが納得できること。新久保さんなら中心はデータベース技術なのでデータベースを開発している会社で、その中でデータベースを究めることを仕事として、アウトプットができることが重要だった。