自分とパソコンの世界ではまだ面白くなかった 「向こうに誰かいる」と世界が変わった
森島さんには年の離れた兄がいる。自宅にはゲーム機がなかったので、兄のパソコンが森島さんにはゲーム機のようなものだった。ゲームをしながら自然にコンピュータに触れ、プログラミングを身につけた。
実家を離れていた大学生の兄に電話をかけたら、通じないことがあった。後から聞くと当時はまだ珍しいISDNをひいていて、不通はターミナルアダプターに問題があったからだそうだ。兄は日本のインターネットに黎明期から携わっていた。
時が過ぎ、森島さんもパソコン通信や草の根BBSを始めるようになった。まだ電話代がかかる時代だ。電話代を節約するために大学の計算機センターに趣き、telnet接続を使ってみようとしたが、名前解決ができず使えなかった。これが森島さんにとって初めてのインターネットだったという。
森島さんがniftyのフォーラムでDNSについて調べていると、ある日、ほとんど連絡を取り合っていなかった兄からのメールが受信箱に届いた。兄は相手が弟と確信を持てず「森島と申します」と他人行儀であいさつしてきたという。このころから兄とインターネットについて情報交換をするようになった。
ネットワークの知識があるため、学生時代にはある学部のネットワーク管理を手伝ったこともある。まだサイバーの世界は平和だった。そんな中、一度だけワークステーションに侵入されたことがあった。他の組織に侵入するための踏み台にすることを目的としたものだった。追跡を試みたが、結局逃がしてしまった。
早くからパソコンに慣れ親しんでいたものの、森島さんにとって自分とコンピュータだけの世界はつまらなかった。ところが「向こうに誰かがいる」世界になると、俄然面白くなってきた。森島さんは「ネットワークを通じて人間がコミュニケーションする世界に可能性を感じました。しかも、技術をエンハンスするとコミュニケーションも広がっていくのですから」と話す。
NAIST(奈良先端科学技術大学院大学)に進むと、経路制御の研究をした。加えて、CSCW(computer supported cooperative work:コンピュータ支援による共同作業)も。経路制御とCSCWでは層が離れている気がするが、森島さんは「当時はフルスタックがデフォルトですので」と笑う。