体験がなければ表現はない
エバンジェリストとは日本語にすると宣教師である。宣教師とは布教活動を行う職業である。一般には宗教を広めるようなイメージがあるが、広める活動を通じて題材はなんでもかまわない。カレーエバンジェリストやチョコレートエバンジェリスト、AKB48エバンジェリストがいたっていい。
つまり相手に伝えるべきものはなんであってもかまわない。対象がなんであれ、それを全身全霊で伝えるのが仕事である。そのためにまず大切なことは自分自身が体験するということである。人から聞いた話をそのままほかの人に伝えるだけでは足りないのだ。そしてもうひとつ大切なことは、自分自身が体験したことを表現するということ。つまり、体験と表現の繰り返しがエバンジェリストの日々の実態なのである。
エバンジェリストである吾輩は、とにかく体験してみないことには何も語ることができない。自分自身が体験することによって、楽しいことや愉快なことも実感できるし、苦しいことや困ったことも実感できる。そして、楽しいことも苦しいことも伝えることが重要である。
たとえば「代々木にあるラーメンの老舗店の味はとてもおいしく麺にコシがあったが、スープがやけどをするくらい熱々である」という表現は、おいしいという経験と、やけどをするという経験がないと語れない。しかも、そこにさまざまな形容詞がつく。たとえば、「ほら、この下唇がやけどしたんですけど、すんごい熱々でおいしいラーメンでしたよ」と表現することができる。
体験がなければ表現はない。体験と表現はくんずほぐれつ、常に一体となっているのである。ラーメンのスープと麺があたかもそうであるように―