「限界を感じて」オラクル退職、そして起業
日本オラクルでは「アーキテクチャを意識する仕事をさせてもらったことに感謝している」と語る二階堂氏。Oracle DBのバージョンが7.3から8iへと上がるころ、製品出荷前に新機能を日本で検証する技術グループのマネージャとして、データベースの中身を徹底的に調査した。日本の顧客の要望を製品に反映させるため、米国本社の開発マネージャに苦手な英語で何度も要望を懇願したという。二階堂氏はこのときに得た知識や作業手順をきっちりとインデックス化/マニュアル化している。「もともと性格が細かい」と自称するが、自分自身だけでなく組織にもノウハウを蓄積した功績は大きい。社内のエンジニアサポートやエデュケーション部門でも力を発揮した。
日本オラクルの成長と共に、二階堂氏もまた順調にキャリアを積んでいったが、2001年に同社を退社、2002年にオラクル出身者3名でワン・オー・ワンを立ち上げる。
「会社でのステージが上がると、やらなきゃいけないことが変わってくる。外人と英語で交渉したりとか、社内の調整を図るとか。オラクルという会社で自分ができることが少なくなってきた - 能力の限界を感じてスピンアウトすることにしました。ひとりで細々とコンサルでもやろうかと」
だが、意外な需要が二階堂氏を起業へと向かわせる。当時、ある企業のメインフレームのダウンサイジングを手伝っていた二階堂氏は、Oracle DB用のバッチアプリケーションを作成した。一連の処理をまとめて自動生成するユーティリティで、SQLの知識がなくてもExcelインタフェースで定義できる。フローを書くと分割された処理がどういう仕様で動くのかが別シートで自動で起動する。ロジックを手書きしていると膨大な時間を要してしまうからうまく自動化してやる必要がある。バッチの特性を知って、うまくコンポーネント化し、バックエンドで自動生成する。そうすればデバッグも簡単だし、コードも安定する。実装はJavaで行い、COBOLアプリケーションを焼き直したところ、50%以上のコスト削減が実現したという。これがのちの「101will」の原型となる。データベースアーキテクチャを深く知り尽くしているからこそ作れたソフトウェアだった。コンサル終了後、ツールとノウハウを売ってほしいと客先から要望される。そしてそれがワン・オー・ワン起業のきっかけとなった。RDBMSの良さを引き出せる力をもった技術者は、世の中にはそれほどあふれていない。需要は間違いなく存在すると確信した。
その後、ワン・オー・ワンは「101will」「101NEO」のほか、ヘルプデスクシステム「101Helpdesk」、セルフサポートシステム「101FAQ」、いまもっとも注力している人材育成パッケージ「Enterprise Skills Inventory」などオリジナル製品の開発/販売やITコンサルティング業務などで順調に業績を伸ばしている。だが二階堂氏には会社の規模をことさらに拡大しようという野心はない。
「あまり先のことを考えるタイプじゃないんですよ。これまでラッキーなことに、嫌な仕事を無理やりやらされたという経験はほとんどないんです。人間関係も上司/部下のタテの関係を強要されるよりも、ヨコでつながっている感じのほうが心地良い。だからストレスもあまり感じない。これからもそうありたいですね」
最後に若い世代へのメッセージを伺った。「まず技術者なら英語はマストです。これは僕自身が苦労したので、身にしみて重要性がわかります。技術文書が読めるのはもちろんだけど、本当ならディスカッションフォーラムなんかにも、若い人が積極的に参加するようになればいいと思っています。日本人はやはり細やかなので、英語さえできればフォーラムの段取りなども手際よくできるはずです。外人はけっこういい加減なので(笑) あと、主義主張はできるだけしたほうがいい。聞いていると、若い人は結構正しいことを言っているんですよ。言うべきことは、タイミングを見落とさないできちんと言うことを恐れないでほしいですね」