当初セールスフォース・ドットコムでは、白浜以外にもテレワーク拠点の候補地があった。1つは九州大分県。ここであれば、吉野さんは九州に帰れた。とはいえ社内には白浜を推す人がいた。「白浜は和歌山県や白浜町の受け入れのための熱意がとにかくすごかったのです」と吉野さんは振り返る。熱意だけではないが、最終的に同社が交通の便などさまざまな条件を加味して選んだのが白浜という場所だった。
白浜に拠点を作ることが決まり、吉野さんはビレッジに赴任することとなる。その際、単身赴任ではなく家族全員での移住とした。
「白浜は家族で住みやすい場所だと判断しました。ふるさとの宮崎に似ているところもあり、子どももここならいいねと言ってくれました」(吉野さん)
吉野さんの仕事は、インサイドセールス部隊を率いるマネージャ。転職以前も同様の仕事をしており、この分野でのキャリアは10年以上になる。もともと前職では宮崎県で採用され、その後東京に転勤となり中国大連などにも赴任した。何度かの転勤や転職を経験し都会での生活は長いが、いずれは地元宮崎に帰ることも考えていた。そんな中での白浜行き。いくら宮崎と似ているとはいえ、まったくつながりのない土地への移住をなぜ決意できたのか。
「これがただの転勤と考えたら、移住はなかったかもしれません。また場所が白浜じゃなく地元宮崎に戻るのでもダメだったでしょう。転勤だと、たとえば3年ほどすればまたどこかに移ることになる。場所が地元の場合は、失敗すればつてを辿って地元企業に転職すればいいとの甘えにもなります。つながりのない新しい土地で成功すると決め、一生ここで仕事を続ける。そのためには地元の人にも認知され、セールスフォースが白浜町の人のためにもなる存在になりたい。そう考えた時に、移住に行き着きました」(吉野さん)
半年ほどの時間が経過し、「移住」という言葉の重みはひしひしと感じているそうだ。これには白浜に赴任する人の覚悟も必要だし、送り出す側の会社もそのつもりがなければならないと吉野さん。