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紛争事例に学ぶ、ITユーザの心得

「契約確実」という言葉は信義則違反?


 システム開発契約を巡る紛争というと、ユーザかベンダのどちらかが契約上の債務を履行しない債務不履行や、納品したシステムに欠陥があり契約の目的を果たせないという瑕疵に関するものが定番ですが、それらはあくまで「契約あって」の紛争です。システム開発に関わる契約書にはユーザとベンダがお互いに、「私はお金を払いますから、あなたはこういうことをして下さい」 という約束事が書かれており、どちらかが、その約束を守らず、何らかの損害が発生した時に、その賠償を求めるというのがIT紛争の一般的な形と言ってもよいでしょう。

契約前にベンダに作業をさせるのは許されるか

 では、一方で契約前の場合はどうでしょうか。契約前でもユーザがベンダに迷惑をかけることはあります。「客の立場を良いことに」というと少し言葉が過ぎるかも知れませんが、ベンダに無償で様々な作業をさせて損失を被らせるようなことがIT業界では珍しくありません。発注をちらつかせてベンダに様々な情報提供をさせたり、場合によっては一部のプログラムを作らせたり、テストをさせるようなことだってあるわけです。ベンダとすれば、一時的に多少の赤字を被っても、後で発注をしてくれるならと我慢をするわけですが、結局、ユーザは発注してくれず、ベンダはそれまでに掛かった費用をまったく回収できないといいうことも現実にはいくつもあります。

 確かに契約がないわけですから、ベンダは費用を請求したくても、その理由がない (ユーザには債務がない) ようにも思えますが、本当にベンダは泣き寝入りするしかないのでしょうか。ユーザには、本当になんの債務も発生しないのでしょうか。今回は、そんなことが争われた判例をご紹介したいと思います。

ユーザが「契約確実」という言葉を反故にした事例

  (東京地裁 平成20年9月30日判決)

 平成19年の初頭、自動車販売業者 (以下 ユーザ) が自社ホームページのリニューアル等の作業を委託しようと考え、あるITベンダに声をかけ、両者は平成19年7月1日のオープンという認識を共有しながら商談を続けた。

 3月に入り、ベンダの担当者は、7月1日にオープンする為には作業を4月1日に開始する必要がある旨を申し出たところ、ユーザ担当者は本件契約については上層部の感触も悪くないことから契約書案を作成して欲しいとメールでベンダに依頼した。これを事実上の内定と考えたベンダはユーザに「このたびは,弊社にご依頼をいただける方向で進めていただきありがとうございます。」などと返信し、両者は作業開始日や納期等の打合せを重ねた。その際、ベンダが「契約締結が遅れると納期も遅れる」と伝えると,ユーザは「契約締結は間違いないから納期を守ってほしい」との返事があり、これを受けたベンダは3月29日に契約書案を送付した。

 このときユーザはあるフリーエンジニアの採用を決めていた。実は、このフリーエンジニアが入ると、本件のシステム開発を一人で完遂させることができる能力の持ち主だったらしい。つまり、このエンジニアが入社するとホームページのリニューアルをベンダに任せる必要がなくなるのだが、その時点ではエンジニア側がユーザへの入社意思を固めていなかったことから、ユーザはベンダとの商談も打ち切らずに続けていた。

 ベンダはユーザのフリーエンジニア採用については知らされないまま商談を継続し、4月6日頃からは実質的な作業に入っていた。ユーザ担当者も、そのことは認識していたが、4月になってエンジニアの入社が決まったことから、13日にユーザからベンダに契約締結をしない旨の通知を行った。それはユーザとベンダが契約締結日として合意していた4月18日の5日前のことだった。

 ベンダはこれについて、双方の契約は事実上成立していると考えられ、仮に成立していないとしても、それはユーザによる契約締結上の過失であり、いずれの場合も損害賠償の対象にあたるとして約760万円を請求する訴訟を提起した。

次のページ
ベンダにはユーザが考える以上の損失が発生している

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この記事の著者

細川義洋(ホソカワヨシヒロ)

ITプロセスコンサルタント東京地方裁判所 民事調停委員 IT専門委員1964年神奈川県横浜市生まれ。立教大学経済学部経済学科卒。大学を卒業後、日本電気ソフトウェア㈱ (現 NECソリューションイノベータ㈱)にて金融業向け情報システム及びネットワークシステムの開発・運用に従事した後、2005年より20...

※プロフィールは、執筆時点、または直近の記事の寄稿時点での内容です

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